トワイライト モノクローム



その島の風は、数日で冷たいものへと変わっていた。暗黒武術会。今はもう有名な大会だ。
乾いた風は蔵馬の身体を包み込み、それは他の誰も同じだった。
同じ筈だった。

「飛影」
木の上の飛影を、蔵馬は小さな声で呼んだ。
「なんだ」
涼しい顔をして、飛影は腕を出していた。
「寒くないの?」
「俺が寒いと思うと思うか?」
くっと笑う飛影に、蔵馬もつられて笑った。
まだ大会の一回戦しか始まっていないこのときは、秋風に似たこの空気を楽しむ余裕が溢れていた。
「それより」
頬の傷に触れて、飛影は眉をしかめた。
「どうにかしろ」
不機嫌は露わで、でもそれはくすぐったい刺激だった。飛影が、自分の怪我で機嫌を悪くしてくれて
いる。小さなうぬぼれは、蔵馬の頬を綻ばせるに十分だった。


けれど、その風は夜には突き刺すものへと変わっていた。
「蔵馬」
雨の降り始めた木々を、窓から見ている蔵馬に、飛影の声が降った。ベッド脇に腰を掛けて飛影は、蔵馬を 見た。
言葉にならない、不安定な疼きが、飛影を包んでいた。
ゆっくり振り向く蔵馬を、ただ飛影は見た。
「冷えるぞ」
「うん」
窓を閉めて、蔵馬はそっとベッドに入った。…と、動いた影は一つ。
「飛影?」
部屋の扉を閉める飛影に、蔵馬は声を掛けた。もう11時だ。闘いだけの日々は二人に緊張をもたらして
いた。人間の身体ではないと言うことと、休息が要らないことは同一ではない。
「少し休まないと駄目だよ」
「うるさい」
バタンと扉を閉めて、飛影は雨の中に飛び出した。
ホテルを出て、ただ広がる森へと足を伸ばす。ぬかるみが飛影の足を取っても、それに構う余裕はない。
ただこのホテルの周りを、見たかった。
…誰もいない。
何も、ネズミの気配さえもない。気付かないはずがない、もし誰かがいたなら。
この胸のざわめきは、何だ。
「くそっ……!」


飛影は、地を蹴った。


「くそっ……!」
呟いたのは、そのときも同じだった。
目の前では蔵馬が少しずつ瞳を閉じていく。
凍矢戦…蔵馬の身体を、蔦が突き破っていく。黒髪が弱々しく肩にたくなって、白い指が力なく垂れた。
「蔵馬!」
叫んでも今どうにか出来るはずはなかった。あのざわめきの正体が、今更分かった。
あれは予感だったのだ。
腕が使えなくなった自分のせいか。もしもはっきりと分かっていたら…この腕を犠牲にしないで蔵馬に
ここまでさせずに済んだのか。否定の声が上がる、それは無理だ。
蔵馬をかばうだけで済むわけはない。これは自分の闘いでもあるのだ。感情はそうはいかない。
飛影は土を蹴って、ただ言うしか出来なかった。
「…命拾いしたな」
それは正直な気持ちだった。燃やし尽くしたかった。それが出来るかと言うことよりも、今の自分ならやり
かねないことを自覚する。こんなに近くに居るのに蔵馬を引っ張ることも出来ない。
闘技場は遠く思えた。


だから、衝動で言葉が出てしまった。
「自分でどうにかしろ!」
部屋に戻った蔵馬の腕を見て、それだけを零して飛影は扉を閉めた。
そうでもしないと、今は罵ってしまいそうで。頼りなげな蔵馬の瞳が一瞬だけ飛影を見たが、それも不快だった。
飛影のためとか言い出しそうで。放っておいたら、あなたのために連戦したと言いそうで。聞きたくなかった。
そんなことは聞きたくなかった。
「うっ……」
部屋の奥から呻きが聞こえた。分かっている、今の蔵馬がどうにか自分のからだを調整できるほど器用ではないことも、
何が言いたくて飛影を見たのかも。
「あっ……」
低い声が、聞こえた。背中越しに、途切れ途切れの声が上がっていく。そしてそれは消えそうな息に変わっていく。
息を吐き出したのは飛影も同時だった…結局自分は、本当に蔵馬を突き放すことなど出来ない。
多分、ずっとこれからも。
バッと、扉を開いた。胸をかきむしるようにして、倒れ込む蔵馬を抱え込んだ。
「馬鹿……」
ためらうことが出来なかった。
そっと、唇を重ねた。全ての癒やしを与えることなど出来はしない。ただ、内部
から消し去る力を送り込むことは出来る。
ん、と蔵馬の喉が鳴ったのが見えた。そっと蔵馬を横たえると、唇を近づけた。その唇は蔵馬の腕へと、
降りていく。ほんのの少しでも、瞳を開けないから、だから出来た。
赤い筋の残る蔵馬の腕を、じゅる、と舐めた。
この肌に血が残ることが許せなかった。何度も何度も、飛影はその赤を舐めた。




「蔵馬!」
叫んだのは、今度は本当に焦りからだった。
鴉と対峙した蔵馬の足がもつれていく。いつも口の端を上げ笑うその狐が、今は鳥の化身に翻弄されている。
鴉は不敵な笑みを浮かべていた。冷や汗が飛影の首筋に流れた。ぐらりと、蔵馬のからだが傾いた。
指先まで、あの嫌な赤に染まって蔵馬は倒れていく。
「蔵馬!」



生きています!
その言葉に、飛影はハッとした。絶望と希望の狭間で揺れた意識が引き戻された。
安堵…その意味を、初めて知った。
駆け寄りたかった。
そのままそのからだを抱えて自分と蔵馬だけの空間で、手を握りたかった。
けれどそれが出来るはずはない。
「俺は」
負けない。負けてなどいられない。どんな相手であっても、自分は生きるために今ここに在る。蔵馬のそばに
いたいと、はっきり思っている。一瞬、飛影は幽助を見た。
同じ瞳をしている存在がそこにある、誰にも負けたくない気持ちを、違う種族のものと飛影は重ねた。
「幽助」
小さく、飛影は名を呼んだ。そして、闘技場を見た。





だから、今度は何度も呼んだのだ。
「蔵馬」
蔵馬、蔵馬と飛影は名を呼んだ。ゆっくりと、蔵馬は瞳を開けた。
幽助たちの声は今は遠く、ただ医務室で蔵馬は飛影だけを見ていた。
「そんなに…呼ばないでよ」
口を開けばからだの痛みがきしんでいく。けれど、それよりも甘さが先になった。くすぐったい感覚。
一瞬好きが溢れた。
「ありがと……」
「俺に……」
そっと、飛影の手が蔵馬の頬に触れた。青白い頬。包帯に包まれた蔵馬を、今はこんな姿でも失わないで済んだと
思えた。なくしたくない存在を、実感する。
「俺にこんなことまでさせるのはお前だけだ」
「えっ……」
「二度目だ」
蔵馬のからだが硬直した。深い、深い口づけ。舌を割り、それでもなぜか飛影は優しげだった。
その喉の奥まで蔵馬の舌をかき混ぜると、暖かいものが蔵馬の身体に落ちていった。
感じる、知っている…この気。
「ひ、え……」
蔵馬のまつげが、瞬きに揺れた。
「ありがと」
それしか、言えなかった。注がれる気が、どこからかからだを暖めていく。
「何か、望みはあるか」
思わず、そう言っていた。余りに真っ直ぐ見つめられたので、飛影のほうが手を離してしまった。
数秒して、蔵馬は言ったのだ。
「……もっと……近くに」
それだけ。
そっと蔵馬は瞳を閉じた。

曖昧な甘さが、ただ飛影を包んでいた。眠りに落ちた蔵馬の白い頬を撫でてみる。
答えが降ってくるはずはなかった。




「あ、雪」
動けるようになって、蔵馬は言ったのだ。ほんの僅かな間に、冬の凍る空気が島を取り巻いていた。
海の風がピリピリと身体を刺す。見上げれば、小さな雪が落ちてきた。部屋の窓から、蔵馬は手を伸ばした。
「冷えるぞ」
「やだ、このくらい大丈夫だよ」
心配性だなと蔵馬は笑った。薄桃色の頬が飛影に眩しかった。
「ホワイトクリスマスだね」
「クリスマス?」
聞き返す飛影に、蔵馬は振り返った。
「大事な人と過ごす日なんだよ。家族だったり…好きな人とか」
言って、蔵馬は瞳を細めた。いつの間にか、射貫くような飛影の瞳を見ると鼓動が抑えられなくなっていた。
「思い出を作ったりするんだよ」
自分の指が、僅か震えていることは分かっていた。でも止められない。フッと、蔵馬の姿が消えた。
…飛影の腕に、蔵馬はいた。
「このまま、いさせて」
「……なのか」
問いかけたのは飛影だった。埋めた胸の上で、飛影の声がした。
「思い出で、いいのか」
「飛影……」
フルフルと首を横に振る。もう、どうなってもいいと思った。どうせ消えかけた存在だ。
嘘はつけない。
「思い出なんかで終わらせたくないのは、俺も同じだ」



蔵馬は、その夜何度も飛影と呼んだ。
白い身体に唇を落とすと、蔵馬はびくんと腰をしならせた。広がる黒髪が窓の外の月に反射した。
急ぎたくない気持ちと、ただ全てを感じたい気持ちが、同時に湧き上がる。胸に舌を這わせると、
蔵馬は小さな喘ぎを漏らした。
「あっ……」
初めて聞く、甘い声だった。それは飛影の高ぶりを呼び覚ますには十分で。何度も舌を絡めた。
もう手加減は出来ない。
噛みつくように蔵馬の頬に顔を重ねると、蔵馬は高まりに薄桃色に、首筋までを染めた。
「飛影」
彷徨うように伸ばされた手を、ぎゅっと握った。
濡れていく白い肢体を、ここまで待っていたことがよぎっていく。重なり合う鼓動に蔵馬は小さく笑った。
「飛影」
そっと重なる指。
中心に舌を這わせると、蔵馬の太股がびくんと震えた。一点を突くと甘い声が高く上がった。そして、
開いた足がわなないた。
「あっ…あ」
じゅる、と溶け出すものまで、誘惑になる。飛影のからだをあてがうと、蔵馬の背を汗が伝っていく。
ずい、と指を、かき分けるように這わせていく。
喘ぎが続き、そのまま蔵馬は飛影、と呼んだ。
中心を口に含むと、蔵馬は顔を横に振った。それでもからだは確かに、与えられる刺激に忠実だった。
仰向けのままの蔵馬の腰が浮き上がっていた。からだのどこかからか沸いてくる甘さに、委ねきれば腰が
しなっていく。
「はっ…あ、あ!」
がっと、蔵馬の足が大きく開いた。中心が飛影から見えても、それでも構わなかった。
飛影を、感じたかった。もっと奥まで……。
「蔵馬っ……」
呼ぶ飛影の声が、一番の高ぶりだった。
ぐいと、飛影は腰を進めた。
「ああ!はっ……あ、ん」
重なる刺激と、流れ込む熱に蔵馬はただ飛影にしがみついた。
「このままじゃ、終われない」
熱い飛影の吐息が流れ込んだ。



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