:雨音はモノクローム


魔界も変わった、と思った。
殺戮ばかりだった魔界の地が、今は違う声で溢れている。
街が出来て、雑貨街が出来ている。

勿論それは一部の都会の話だが、それでも随分変わった、と蔵馬は思った。
数ヶ月ぶりに魔界の地を踏んだ蔵馬は、自然歩く速さが遅くなるのを感じた。

自分が知っている魔界の空気ではない。
街の一部で、香水のような香りがする場所がある。
リネンの香りのようなそれは、人間界のお洒落な女の子達の香りに似ている。

移動要塞百足―――。
誰もが怖れる、そして近寄ろうとしないその、生き物のような要塞は、蔵馬から見ても
遠い存在のようだった。

けれど―――。
―――月に何度か、そこを訪れる。

「おお、来たか。」
気まぐれに蔵馬を呼び出す、美しい人。

楽しそうに、ソファに寝転がって蔵馬を迎える女王は、余りにも美しく、蔵馬は
妙に緊張を覚えてしまう。
色気とも違う、自信と強さに満ちた者の美しさ。


「はいこれ、お土産です。」
最近人間界の文庫本に興味を持った躯は、蔵馬に使いを頼むようになっていた。

人間界で名作と言われているロマンス小説を、面白そうに読んでいる。
「これです。」
ヨーロッパで書かれたその小説は、5巻あって、今はその4冊目だ。今の時代では、
人間は読み飽きているような話でも、躯には新鮮だ。
うんうん、と言いながらページをめくり、躯は前のテーブルに載っているお菓子を差し出した。
「―――?」
首を傾げる蔵馬を見て、くすくす笑う。

「クッキーというものを調べて、作らせてみた。」
「え?」
よく見てみると、アフタヌーンティセットにありそうな綺麗なお皿に、色々な形のクッキーが
載っている。
「凄い。」
広い部屋の真ん中、綺麗なテーブルクロスにも驚きながら、しゃがみこんで
手にとって見ると、良い香りがした。
「一箱あるから、お前にやる、持って帰れ。「え?」」
躯が言い終わると同時に蔵馬の声が重なった。

「でもこんな…貴重なもの…」
「ああいいんだ、もっと研究して一杯作らせる。得意な女が居て、張り切っている。」
だけどな…と、蔵馬の耳に口を寄せた。
「その女、飛影のファンでな。」
一瞬、鼓動が速くなった。
「最近飛影に無理矢理、料理や菓子を持っていって渡している。お前も気をつけろよ。」

どきんと音がした―――と思った。

自分でも分かるほど、緊張が走った。
しかし、次の瞬間…。
「え!!?」
とさっと、浮遊したような感じがして蔵馬は目を見開いた。
世界が反転していた。
ソファに引き倒されていたのは自分で、躯が馬乗りになっていた。
「む…くろ?」
「お前、本当に可愛いな。」
蔵馬の頬を撫でながら、クスクス笑う。
「お前を不安にさせるようなやつ放って置けよ。」
「んっ…ん!」
動揺で心が整理できない。
柔らかい唇で、躯は蔵馬に口づけた。
「んっ!」
飛影のそれとは違う、どこか優しい感覚だった。ぬるぬるとした感触は、とろけるようなものに変わる。
愛おしむような躯の視線に流されそうなくらい…。

―――可愛い。そう思った。
沸き上がる気持ちに動かされて蔵馬に触れた躯だったが、思ったよりも柔らかい頬にうっとりとした。

「飛影のこと狙ってる女は一杯居るぞ。お前が油断していると取られるぞ。」
蔵馬の頬に、朱が散った。
「あ――」
それは、感じないではなかった。けれど、飛影の一番は自分だと言い聞かせていた。
「ひ、えい」
言う蔵馬の声が震えていた。そして、切なげだった。
―――…一途なやつ…
「ん!」
一層激しくなった口づけに、蔵馬はもがくことも出来なくなった。
しかし…


ふわりと、重みが消えた。
「え…?」
「お前、本当に可愛いな。勿体ない…」
はあ、とため息をついて、蔵馬の身体を起こした。
流れるような髪は、心地良い。

「あんなやつやめて、俺にしておけよ。」
耳元で囁いて、そして、蔵馬の手に何かを握らせた。
「な…に?」
くすくすと笑いながら、もう一度耳元で囁く。
「香水だ。ロマンシアアルページュと言う。上品で良い香りがする。」
でも香りが半日続くんだ、と続ける。
「あいつに会う日に、それつけておけよ。あいつにも、香りが移る。」

深い青の水は、蔵馬の手の中で、揺れていた。




突然思いついて書いて見ました。
飛影が居ない所で、蔵馬は色々複雑な気持ちでいるのでは。
躯と蔵馬のシーンを書きたかった、と言うのもあります。
田村ゆかりさん 雨音はモノクローム からです。
とてもいい曲なので是非聴いてみて下さい。