Blue energy -being hidden-

囁きの風

隣で眠るその人を、飛影はそっと見た。
ベージュのシーツにくるまって眠る蔵馬は、深い眠りの中で
浅い息を吐いていた。
「ん…」
そのとき、小さく聞こえた声…。飛影。
「蔵馬」
起きないように声を潜めて、そして蔵馬の黒髪を撫でた。
百足の飛影の部屋、今は月が遠くに見えるだけで、少しの音もしない。
シーツを捲る気にならず、飛影はそのまま頬に手を添えた。
白い頬から伝わる疲労は、それでも飛影を嫌な気持ちにはさせなかった。
それよりも、蔵馬の寝顔に見入ってしまう。気を許して眠るこの狐は、今
とても幼く見えた。
また夕べ無理させたんだろう…躯がよく言う言葉…今日は、本当にそれを感じて
しまっていた。
心臓の音が、小さく聞こえた。
意識がないと消えそうで…それでも、この眠りは全て自分のものだと思う。
この眠る表情も、甘い寝息も。
「ずっと、そばにいるからな」
思い出す、昨日の蔵馬の表情の全てを。
魔界の風も夜は何故か穏やかで、蔵馬の頬が薄紅に染まっていた。
「俺も…ずっとそばにいたいんだぞ」






「あ、ここにもいた!見て」
明るい声で、蔵馬は飛影を振り返った。壁から刺す日の光に、蔵馬の頬がオレンジ
に染まった。
海辺の街の水族館。その2階に、二人は居た。

大きな水槽の中、動く黄色い魚を、蔵馬は指で追った。鮮やかなブルーの水の中を
ゆっくりと漂う黄色の魚、手のひらに載りそうな大きさのそれを、蔵馬はじっと
見つめていた。
「あ、こっちもだよ」
ピンクの魚を見つけて、蔵馬はもう一度飛影を振り返った。晴れ渡った空から
ガラスを通して刺す光に染まる蔵馬が眩しい。
「こっちのほうがきれいだぞ」
ずっと同じ水槽に張り付いている蔵馬の背に手を回すと、大人しく従う。
「本当だ!」
薄いピンクのグラデーションの珊瑚を見つけて、蔵馬は水槽の顔を近づけた。
張り付きそうなほど近づいている蔵馬に呆れた目を向けたのは一瞬。
「お前の目の色だ」
そう言って、中に揺れる濃いエメラルドグリーンの魚を指さした。
いつも自分を見上げてくる深い碧の瞳。蔵馬は頬を染めた。
「…いきなり言わないでよ」

水族館の通路を抜けると、そこは海の見渡せるバルコニーだった。
「晴れて気持ちいい!」
強い風が吹いた。
その風に煽られて、蔵馬の黒髪が靡いて乱れた。
「そうだな…魔界の空より、ずっといい」
「こっちの海も、良いでしょ」
言う蔵馬に、こっちのほうがずっときれいだと思わず口にする。
はにかむように、蔵馬は笑った。蔵馬の手を繋ぐと、蔵馬は手を
重ねてきた。
「パサついているぞ」
肩に触れると、蔵馬の噛みに潮がついて手ぐしが通らなくなっていた。
「あとで、俺が洗ってやる」
耳元で囁くと、蔵馬は、えっと言って顔を伏せた。
蔵馬が嫌だと言わないことは、分かっていたけれど赤くなった頬を見るのは
楽しかった。
キラキラと、光を集めたように蔵馬が笑う。繰り返し再生するテープの
ように、飛影は瞬きをして蔵馬を何度も見つめた。




パシャパシャと、水音が弾けた。小さな波が、たくしあげた蔵馬の足を弾けて
濡らしていく。 
蔵馬が海の水を弾けさせて笑っていた。
「濡れるぞ」
「だって」
蔵馬の足に着いた砂を見て眉をひそめたが、それでも口の端が緩むのはやめられ
ない。
屈託なく笑う蔵馬を見たのは、何ヶ月ぶりだろう。パトロールが入った日に夏祭り
の印をしていた蔵馬のカレンダーを見ては、見ない振りをしていた。こんなに
煌めいた瞳をする蔵馬を、放っておいたことすら信じられないくらいだ。
もっと、本当は時間を過ごしたい。

「見て、きれい!」
貝殻を見つけては手のひらでわっかを作ってそれを翳す。
金色とオレンジの間のような太陽が、蔵馬の白い指を照らした。

「冷たかった〜」
「わっ…」
そっと重ねられた手。蔵馬の手のひらが氷のように冷たくて、今度は飛影が
声を上げた。
「あったか〜〜い!」
「お前な…冷たくなるぞって言ったじゃないか」
「きれいだったんだもん!」
言いつつも、好きにさせてやる。こんなこと許してやるのはお前だけだと、
口に出しそうになる。

「ほら、こうしろ」
雑貨屋で売っていた、小さな紐をとって飛影がふっと妖気を通す…
一瞬で開いた穴に、蔵馬が大きな声を上げた。
飛影が、水で貝殻を洗って穴を開けてくれたのだ。その穴に紐を通す。
「似合う?」
首から見える小さな貝殻が、蔵馬の瞳と同じように光っていた。
「似合うから作ったんだ」
小さく言うと、えへへと蔵馬は笑った。


「ここ、凄くおいしいって会社で聞いたんだ」
運ばれてきたスープパスタを突きながら、蔵馬は楽しそうだった。
飛影は、お勧めと言うピラフを頼んだ。何度か、蔵馬が作ったものを食べた
ことがある。人間界のものは、蔵馬から学んだものが多い。
薄いピンクのランチョンマットに乗せられて運ばれた料理を見て、おいし
そうと蔵馬は呟いた。
「熱いけどおいしい!」
「そうだな…少し食べるか」
言って、蔵馬の答えを聞かずに分ける。
「ありがとう…綺麗なレストランあって良かったね」
「ああ。海も見えて良かったな」
海辺のレストランは、さすが煮込んでいた。女性客がグループで写真を撮って
いたが、確かに綺麗な盛り付けがいい。
「こっちの料理も、いいな…最近は魔界もこういう店が増えたが」
「でしょ?今度、行きたいお店もあるんだ!」
「わかった。今度また、来る」
「家の近くにもね、新しい食堂とか出来たんだよ」
「そうなのか。でも」
…言いかけた言葉を、飛影が思わず飲み込んだ。
「ん?」
口に運んだスプーンが、少し止まった。
「お前が作る料理よりおいしいもの…食べたことがないな」
…百足にも料理人がいるけど…。
「えっ…」


一気に飲み込んだスープに、蔵馬は舌の火傷をした。



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