Gimmick GUILTY:1

遠く淡い空





最近何かおかしいと…思わないではなかった。
けれど、それははっきりとした形を取らず、曖昧なままだった。
消えることはなく、燻っている…そんな感じだった。




「秀一君、ちょっと悪いんだけど、今日も残れるかね」
時計は17時半を指している。、不意に降ってきた声に、パソコンに
向かっていた

蔵馬は顔を上げた。
「あ、はい…」
どうしたんですか、と言いながら神経を研ぎ澄ませる。
ああ、この気配。
覚えのある熱い気配。覚えのある風を連れた気配。
胸が熱くなった。ちりちりと焼けるように。
はい、と言いながら、今すぐにでも足を向けて飛んで行きたいと思った。




気配だけは感じて居るのに仕事を放り投げるわけにも行かなくて、
結局21時を過ぎて、漸く会社の鍵を閉めた。
「はあ…」
駅に満ちていた、家路を急ぐ人の波も今は去っている。
代わりに、暢気な学生達がはしゃぎながら歩いていた。

スーツ姿の自分はその中で浮いている気がする…そう考えると、
一気に疲れが増した。ここ数週間掛かっていたプロジェクトが漸く
終わったと思ったら、又今日も残業になってしまった。


空には星が光っていて、それを見て綺麗だと思う余裕もなかった。
会議が重なり、気を使うことが重なり、頭の中が上手く整理できない感じがする。


魔界にいた頃とは違う疲れを、感じて居る…。
ああ、このままベッドに飛び込んで眠ってしまいたい…。
そう思って居た…でも。

一つだけ、こころを明るくする物がある。
あの気配。
早く会いたい。早くその胸に飛び込んで――。

―――飛影!!

マンションのエントランスをくぐるまでは下を向いていた蔵馬は、
部屋の鍵を開けるなり、明るい声になった。
「飛影!来てくれたんですか。仕事が遅くなってしまって…」

言って中に入ると、蔵馬の足が止まった。

この臭い…。

ぴく。

眉間にしわが寄った。

眼が細められる。
「飛影―――!?」
ざわざわと、背を嫌な感じが駆け抜ける。そして―


「またこんな怪我して…!!」
怒ったような声が響く。久しぶりに来たと思ったら、飛影は右腕に
大きな傷を負っていた。
かすり傷とは言えない大きさに、蔵馬は一瞬言葉を失って、そして
さっきの 言葉が出た。
「仕方がないだろう。パトロール中に、喧嘩を売られたんだから」
「だから…そう言う事を責めているんじゃないんですよ…」
はあ、とため息をつく、飛影に聞こえるようにわざと大きく。
人間界に来たのが久しぶりで、気配を感じた蔵馬は笑顔で迎えようと思った。

…飛影が入ってきた途端に漂ってきたのは、鉄に似た血の臭い。
赤い筋が入っていた。

ベッドに座らせて、跪く様な格好で手当を始める。
包帯を巻きながら、何度も 繰り返し言う。

「だから、少しは闘い方を考えてくださいよ!」
「一々そんなことしていられるか。これでも加減してやった
くらいなんだから  別に良いだろう」
ああ、うるさい、とそっぽを向く飛影。
「ああ、だから、もっとちゃんと考えて闘ってくださいってば…!」
苛立ちをにじませて、蔵馬の声色が強くなる。ぎゅ、と包帯を締める。
「っ…ちょっとは加減できないのか」
突然の強い締め付けに飛影がうなると、
「何言ってるんですか!我慢できないならこんな怪我しないで
くださいよ…」
ああもう、と言いそうになるのを堪える。立ち上がると、薬箱を持って
飛影に背を向ける。
何で伝わらないんだろう。

「何を一々怒っている」
ぴく、と蔵馬の肩が震えた。ああ、全く伝わっていない。
分かっていない、この人は。
「ちょっとは俺の気持ちも考えて…」
今度はぴく、と飛影が反応した。黙って包帯を見ていた飛影が、
ゆっくり口を開く。

「…なのか?」
「…え?」
なに、よく聞こえない、と言うと…飛影の言葉が響いてきた。
「俺の手当てするのが嫌なのか…?」
「細かいことを色々言うヤツだな…女みたいだな」

呆れたように投げられた言葉に、振り返った蔵馬が硬直した。
ただ呆けていたのかもしれない。
整理できない頭に突然降ってきた言葉が、重い鉛のように落ちてきた。

「そ…そんなことじゃ…」

深い海に沈み込まれたような気がする。
薬箱を持ったまま立ち尽くす蔵馬は、返す言葉が浮かばなかった。

「じゃあ、大きな怪我の手当が嫌なのか」
責めるわけでもなく淡々としている声。
大丈夫だ、それがやけに冷たく思えた。遠い声のように。

「そうじゃないけど…」
何をどう言えばいいのか、上手く頭が働かない。
立ち竦んでいる蔵馬に、手が伸びてくる。
「わっ…」
次の瞬間、抱きしめられていた。
「んっ―――!」


強引な口づけ。歯の隙間から舌が入り込んでくる。
「悪かったな。」
ああ、伝わったんだ…。
そう思った。


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

数週間後―――。

蔵馬は、何とも言えない違和感を感じていた。
なに、とは言えないのだけれど。




「最近は大人しくしているんですか」
「別にそう言う訳じゃない、ちょっかいを出してくるヤツは
どこにでもいる」
馬鹿なヤツだ、と付け加えて笑う。
「無茶はしていないんですか」
……最近、自分が手当をすること
自体が随分と減った。あれ以来、飛影が 気を使ってくれたのだろうか。
無茶をしていないのだろうか。
そう思うと、甘い物が胸を締め付けた。
「そうですか」
言って塗り薬を出す。その時、
―――!
あ、と蔵馬の鼻がぴくっとした。
この臭い―。
血の臭い。どきっとして飛影の腕を見る。腕から血が流れている
わけではない。
だけど何か、ざわざわする。
魔界で、飛影が本当に大人しくしているのだろうか。
でも目の前にある傷、最近目にする傷は、かすり傷ばかり。



どう言う事だろう。不思議に思いながらも手を動かす。
飛影の瞳を見ても、疑問は消えない。
「ほら、これでいいですよ」
もう一度薬を塗ってガーゼをする。
「しばらく、無理をしないで下さいね」
「分かっている」
投げやりな言い方をする飛影を見ると、また複雑な気持ちになる。



「本当に分かっているんですよね?」
「分かったと言っているだろう。…お前が気にしなくても大丈夫だ」
「え…」
どき、と心臓が跳ねた。
「大きな怪我が嫌なようだからな。百足で治療できるから、
お前の手間を掛けることはな」
「え…」
蔵馬と飛影の瞳が交錯する。蔵馬は大きな瞳をくるくるさせて、
飛影を見つめた。
少しも逸らさず真っ直ぐ。


「百足には施設があるから、お前が嫌がる大きな怪我を見な
くても済むぞ」
え…と言うしかなかった。
胸の奥に冷たい風が吹いているような錯覚。ひやりとしたものを感じる。
「訓練も治療も出来る。だから余計な心配をしなくて良いぞ」
「余計な心配…。」
小さな声で繰り返す。
一瞬、蔵馬の瞳に影がよぎった。深い碧の瞳は、何とも言えない
色を湛える。


チクチク。
さっきは小さかった痛みは、どんどん大きくなっていく。
ズキン…
「そうですか…」
俯いて、それだけを返した。唇が小さく震える。

いつからだろう。

百足、と言うときの飛影の表情が違う、と感じるようになったのは。
いつだろう。
飛影の口から漏れる声に、百足、と言う事場が馴染むようになったのは。



「あ…っ…」

ふわりとシーツに沈んだ身体。
白い肌に唇を這わせると、蔵馬はひとしずくの涙を流した。
何度抱きしめても、いつか離れていきそうな気がする、何故…。
黒髪が艶やかに揺れると、飛影はその隙間に指を絡ませた。
このさらりとした髪に触れるときが好きだ。蔵馬の身体を感じるときに、
蔵馬の頬に張り付いている髪を眺めるのも…。

女みたいだ、と思うこともある。
それは見下しているのでも何でもなく…女特有の艶やかさに重なると思う、
そう言うことだ。


「ん…」
唇を合わせると、反射的に逃げようとする。それを強引に掴んで
離さない。
離さない。
この唇が甘くて虜になる。




「う…ん…」
小さな鳥の声が聞こえて、窓から入ってくる光に目をあける。
ふわふわと夢の中を漂っていた頭が少しずつ覚醒する。
眩しさに手をかざしてゆっくりと身体を起こす。
「ん…ひ…えい…?」
シーツを引き寄せて見渡すと、そこにもう飛影は居なかった。
ただ、胸の近くにその臭いが残っている。
「もう…いないの…」
片手でゆっくりとシーツを肩に纏うと、窓の外を見つめる。
まだ頬に張り付いていた髪が、風で少し靡く。
「百足に、帰っちゃったの…。」
飛影の居場所は、百足の中なのだろうか。
ズキン…。

『もうこんな怪我ばかりしないで下さいよ!』
『ああ、もう分かった』
言い合いながらも、飛影は鬱陶しそうな表情はしなかった。
そうだと思っていた。飛影も、この空気は嫌ではないのだと。
なのに。
なのに、と思った瞬間…

『細かいことを色々言うヤツだな…女みたいだな』
どくん、とまた心臓が跳ねた。


耳のそばで拡声器でも使われたような感覚がした。
『…女みたい…』
「いや…」
違う。そう言う事、言わないで。

お節介と言われても、手当をすることは、本当は嫌ではなかったのに。
言いたいことが分かって貰えない。

無茶な闘いばかりをして、傷がふさがらないうちに新たな傷を作る、
それが苦しいのに。
『細かいことを色々言うヤツだな』
「飛影っ…!」
耳をふさいで唇を噛みしめる。



「…もう調合してあげないんだから!」
乾いた声が出て、ばんっとクッションを投げつける。
勢いよく壁にぶつかって、 それは直ぐに床に落ちた。
「もし飛影に頼まれてもやらないんだから!」
口にする。力を込めて言ったつもりだった。ああ、もう、と
苛立ちのため息。
落ちたクッションを掴もうと四つん這いになる。
ああ、こう言うとき結局後で後始末は自分なのだ。クッションまで
やけに遠く感じる。

拾い上げたクッションをもう一度軽く投げてみる。
自分の気持ちが整理しきれなくて、部屋を見回してみる。
と、隅に落ちているもの。
「あ…忘れ物」
今度来たときに、躯に頼まれていた紅茶を持っていってねと言って
いたのに、 飛影はそれを忘れていった。
何を思って出て行ったのかは知らないけれど、歯痒い感じがわき上がる。
「これ…」



持っていくことは、魔界に行くこと。
蔵馬は、ゴクンと唾を飲んだ。
百足には飛影がいる。
きっと百足には飛影がいる。


あの凍るような瞳の奥に熱さを持っている飛影が。
紅茶の袋を握りしめて、蔵馬はゆっくり立ち上がった。
おかしな熱情と、怯えているものが、自分でせめぎあうのを
感じながら。

少しずつ逞しさを増した腕を思い出しながら、魔界の土を踏みしめる。
丸い目で、周囲を見渡すと、広大な大地が広がるばかり。
勿論、魔界の砂や木々は百足の居場所は分からないと言う。
「あー…」
衝動で出てきたので、どうすればいいか分からない。

袋を握りしめて出てきたは良いけれど。



「わっ…」
途端、吹き付けてきた強風に、立ち止まる。魔界の風はチリを
含んでいて、
「けふっ…」
人間界から突然こっちに来た蔵馬はむせてしまった。
木が生えているだけのなにもない丘を歩き始める。
急な坂は、最近仕事続きで疲れている蔵馬には大変だった。
ゆっくり歩き始める。


「うわ…」
人間界で言う台風に似た風に、前に進めなくなり立ち止まる。
魔界の天気は余りにも気まぐれであったことを、すっかり忘れていた。
風に煽られた髪が靡いて、顔をくすぐる。
袋を抱きしめて、大木に背を預ける。

魔界の中で、小さな蔵馬の身体は強い風に巻き込まれそうになってしまう。
―――こう言うとき幽助だったら、もっとしっかり出来るのかも

ああ、少しは鍛えるべきだったかな、など考えてしまう。
それを言ってみたら、飛影に強く反対されてしまったけれど。



「ありがとう」
ああ、大木があって良かった…。
やっぱり樹の下はほっとする。守られて居るみたいで。
そうすると自然、身体から力が抜けていく。
ゆっくり寄りかかって、少し休もうと思った。

改めて見つめると魔界は本当に広い。



こんな中で百足見つけられるのかな。
そう思って、持ってきた水筒から水を少し飲む…と、その時。


「あ…」
遠くになにやら動く物体が目に入った。大きな虫のような…。
「あれ…」
アレが百足だ。きっと、そうだ。丸い瞳を見開いて、蔵馬は
立ち上がる。
「あった…」
見つかったんだ。そう思うと、今度こそ本当に緊張が解けてしまう。
張り詰めていた物が溶けると当時に、あることに気付いた。

ポツ…
ポツ…
上から降り注いで来る冷たい物に、顔を上げると…。
「雨…」
風もさっきより冷たくなり、空は濃い青から灰色に誓い色へと
変化していた。
「さむっ」
生暖かかった風が、指すように冷たい物になり肩を震わせる。


ポツポツ…
地面が少しずつ濃い茶色になり、水滴が染みこんでいく。
魔界の天気は気まぐれな上に、雨になると、小雨では済まない。
認識して直ぐに、その雨は勢いを増し始めた。地面に染みこんだ
色は大きくなっていく。
あっという間に水たまりが増えていく。
木が笠になってくれているとは言え、寒さは変わらない。



厚着もせずに出てきた蔵馬の肩に寒さが染みていく。
跳ねていた髪も、緩く肩に掛かってくる。
もしこれが人間界なら、女の子と言われても仕方がないだろう。
本人は自覚がないだろうけど。



座り込んでいると、ここ一週間余り眠れなかったせいで、一気に疲れが
押し寄せてきた。

だるさと一緒に激しい眠気が襲ってきた。

「あれ…」
そんなに無理をしている気はしていなかったのに。

身体は正直って言うことだろうか。

―――なんだか―考えるのに疲れちゃった…



広すぎる魔界の中でどこにあるのかはっきりしない物を探すのは、
倍の疲れを感じさせた。

ふる、と肩を震わせて膝を抱える。こうした方が寒く無い気がする。
視界が揺れ始める。

人間社会の疲れは、神経が緩んだ瞬間に襲ってくる。
とろん、と瞼が降りてくる。殆ど無意識に結界だけは張って、蔵馬は
そのまま 意識を手放した。







「…ん?」
東の大地をゆっくり進んでいた要塞を止めて、散歩に降り立った女王は、
知った妖気を感じて歩を止めた。
…この妖気は…
いや、でもなぜ魔界にいる?
あいつがこっちに来るのは、自分の要塞に目的があるときだけの筈。
そう思いながら、雨の染みこんでいる地面を踏みしめて、蔵馬に近づく。
ざわざわ木が揺れる。
「悪いな、ちょっと知り合いなんだ」
そうっと葉に触れる。そうすると、ゆらゆらしていた葉は動きを
止めた。

結界を楽にくぐり、蔵馬に近づく。
「蔵馬。」
名を呼んでも、意識を手放している蔵馬は応えない。
間近で見ると、本当に女みたいだと思った。
闘いの中の瞳でもなく飛影に向ける瞳でもなく、閉じられた瞳にかかる
長い睫毛に、 そうっと触れる。

「俺の城の女より綺麗なんじゃないか」
はあ、とため息をつく。それはそれで少し悔しい。
「こんな所で眠ってなにしているんだ」
そうっと頭を撫でるように手を伸ばすと…



「ん…」
小さな声が聞こえて、大きな瞳が開かれた。まだふわふわとしているのか、
何度も瞬きをする。
「おい、分かるか?俺だ」
「ん…」
覚えのある声。何だっけ、聞いたことがある、それは感じる。でもまだ
判断できるほど
覚醒して居ない。
…ちょっと悪戯してみるか
そうっと顔を近付けて、蔵馬の顔の至近距離まで行く。その途端、
「あっ…わっ…」
深い碧の瞳が見開かれ、後ずさる。
「いたっ」
でも後ろは木で、そんなことを忘れていた蔵馬は呻いた。
「おいおい…お前がぼうっとしているから起こしてやったのに、
 酷い反応だな。」
くすくす笑うと、
「何をしている?こんな所で」
と聞いた。
「…あの、躯に頼まれた紅茶、届けようと思って。でも
百足が見つからなくて」
「そうか、わざわざ悪かったな。まあここであったのもラッキーって
言う事だな。 今から戻るから着いてこい」




くす、と笑う躯の勢いに頷いて、蔵馬は腰を上げた。

…可愛いヤツ。
蔵馬の少し前を歩きながら躯はクスッと笑った。





「ここ、何ですか?」
百足の中を躯について歩いて何階か上がった頃、他とは違う壁の
色の部屋を見て、
蔵馬が聞いた。
「ああ、そこは治療部屋だ。怪我をしたヤツは大体ここで治療している」
「そうなんですか」
応えた蔵馬の顔に、暗い影が宿った。


ここが、治療部屋。

ドクン、と心臓が跳ねた。

治療部屋、と聞いて蘇る言葉があった。


『「大きな怪我が嫌なようだからな。百足で治療できるから…』
『お前の手間を掛けることは…』

「どうした?」
気付ば、蔵馬は足を止めていた。その部屋を見つめて動かない。
「あ、いえ…。」
曖昧に笑って前に進んだ。

躯は客間に蔵馬を通すと、ソファに座るよう促した。
「わざわざ魔界まで紅茶を届けに来たのか」
使い魔に言いつければいいのに、と付け加える。
「あ、いえ…」
何かをのみ込んだような表情をしていると、
「ふ…ん。飛影に会いに来たのか?」
すっと顔を近付けてみる。すると、蔵馬は躯から目をそらした。
「い、いいじゃないですかっ…」
別に。
他人に指摘されるほど恥ずかしいことはない。どぎまぎしている蔵馬を見て、
躯は笑い出した。
「怒っている訳じゃないんだから良いだろう。で?届け物は
終わったんだから、 会っていけばいいじゃないか。」
ぐい、と蔵馬の手を引っ張ろうとする躯。だが…

ぱしん!
その手は小さな音に振り払われていた。
「い…いいんです!」
拒絶の言葉に、躯は驚いた表情をした。
「どうした?会いに来たんだろう?人間界からここまでどれだけあると
思って居るんだ。」
そんな遠い道を態々…


そう言われて、蔵馬はぐっと手を握りしめた。
「でも、いいんです」
それより、と直ぐに続けた。
「そうじゃなくて…あの…あの治療部屋」
飛影は最近あそこで治療、しているんですか…。
「え?」
思わぬ質問に、強く美しい女王は問い返した。
「あの部屋…?ああ…そうだが…」
「飛影は、大きな怪我しているんですよね!?最近も?」
「あ、ああ。こちらが気をつけろと言っても聞くようなヤツ
じゃないからな」
「それで…?」
「それでじゃないぜ、全く…。余り大変な手術ばかりさせるもんだから
医者が怒っていてな…。それを宥めるのも葉異変だぜ、ったく」
ああーと、大きなため息をつく。
「飛影…まだそんな怪我ばかり…」
蔵馬の声が、途端に悲しそうな色に染まった。
「心配なのか?あのガキのどこかそんなに…」
「心配じゃありません!」
躯の声を、蔵馬が遮った。
「蔵馬…?」
どうした。予想しなかった反応に、躯は戸惑った。
「毎回、飛影はそこで治療しているんですか?」
なぜか、声が震えた。
「あ?ああ…もうこっちは却って面倒が増えて大変だぜ」
手をひらひらやって、躯は呆れた声を出した。
「まあ、だからお前も心配しなくてい…」
いいぜ、と言おうとして、蔵馬の表情に気付く。



蔵馬は表情に何とも言えない曇りを宿していた。
「…のに…」
下を向いて瞳を伏せる。
「蔵馬…?」
遠くから、けれど蔵馬の声ははっきり聞こえた。

「飛影の治療は…俺がやってきたのに…」
唇を噛みしめる。



Copyrightc 2017 All rights reserved.

-Powered by 小説HTMLの小人さん-