Gimmick GUILTY:2:

甘く苦い果実






「蔵馬…?」
躯は、片方しか見えていない目を丸くした。
甘いうずきが全身を駆け巡る。
ゆっくりと、でも確実に。
黒髪が揺れる、その妖狐は綺麗だった。


何だろう、この保護欲。母性とは違う何か。

何かを堪えている蔵馬が、噂で聞いたあの妖狐なのか。
くす、と笑いが漏れる。
「な、なんですか!?」
こっちは真剣なんですけど!

怒ったような瞳で、蔵馬は躯を見つめた。
これが、もし会議室だったら机を叩いていただろう。
こっちだって、こんなことで百足に来るなんて恥ずかしいのに、酷い。


「いやいや…別に。お前って本当に可愛いなと思ってな。」
ぴく、と蔵馬の空気が変わったのを感じる。穏やかではない空気。

「なんですか、それ…」
唇を噛む蔵馬を見てもう一度思う。

あー、やっぱり可愛い。
そして本当に美人だな。


これは…綺麗な男ではなく、美人だ。

本当は飛影に会いたい癖に。
言いたいことがある癖に…。


と、ふと、ある考えが頭に浮かんで、躯は蔵馬に一歩近づいた。
そして耳元で囁く。
「飛影に、会っていかないか」


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥


だから、こんな格好をして蔵馬は今ここにいる。
躯の部屋に一人、今蔵馬は居る。
鏡で自分を見て、余りの恥ずかしさに、もう投げ出して逃げてしまいたい。
頬が熱く火照っているのを感じる。




・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

あのとき…。

「飛影に会っていかないか」
え、と見上げてきた蔵馬の、長い黒髪を、項から下を掬い上げて、
蔵馬の身体を壁に押しつけた。
「ちょっと!!」
壁に追い詰められている格好となった蔵馬は、見下ろしてくる躯の瞳から
目が離せなかった。
この人、本当に強くて綺麗…。
自分が恥ずかしく思えてくる。こんな綺麗な人に見つめられて、
平気でいられない。
と、そう思って居ると、
「似合うじゃないか」
高い声が聞こえてハッとする。後ろの髪を、躯は手で引き寄せて
上に持ち上げていた…。
「後ろでくくると、似合うんじゃないか」


そう言われて、今躯の部屋でこうして、着替えをさせられて鏡の前で立っている。
百足の女の服。薄紫の服は、何故か女性用を渡された。それでも着られる自分が悲しい。
勢いのまま躯の手で着替えをされて…。



袖は肩で終わっているので、普段と違う長さに恥ずかしさが
わき上がる。

薄紫の上下は、とても鏡の自分を、すらっとして見せてくれた。
下のズボンは動きやすく、さすがだと思った。
ゴクン。
唾を飲む。




本当はこんな格好、したくてする訳じゃない。
似合うと言われても、嫌だ。

でも。
唾を飲んで、鏡の自分と向き合う。

躯が高く後ろで結い上げてくれた髪を見て、蔵馬は廊下に出た。
ゆっくりと歩きながら、全神経を周りに向ける。

自分のことがバレていないか。
明るい女性の声が聞こえる度に、気になってしまう。
不審じゃないだろうか。女性達の声が交差する廊下を、
顔を見られないよう、早歩きで進んで行く。


そうして幾つもの階を上っていく。
階段ではさすがに疲れてしまって、目指す階に着く頃には、
少し息が上がっていた。
「はあ…」
疲れた…。
でもこの階に飛影の部屋が。


百足でも最上階にいちする飛影の部屋。右に曲がって一番奥だと
いう言葉を思い出し、ゆっくりと進んで行く。

飛影、居ないだろうか。

ここですれ違わないことを祈りながら。


「ここが…」
キイ、と扉を開けると、最低限の物しかない部屋が蔵馬を迎えた。
広い部屋。そして、本人のように無機質な部屋。


『女中のふりをして、飛影のベッドを整える名目で入っていけよ』
躯のささやきが蘇る。
音を立てないようにベッドに近づいて、そして部屋を見渡す。
空け放たれた窓から、魔界の臭いのする風が入ってくる。
机の所に、見覚えのある剣が立てかけてある。
ああ、いつも飛影が手入れをしている剣だ。

耳を澄ましても、部屋の外は人の声が全く聞こえない。大丈夫。
女中になったつもりで、と言う躯の声が蘇る。

心臓が早鐘を打ち、手のひらが汗ばんでくる。


そうっと、蔵馬は白い指先をシーツに伸ばした。
碌に使っていないことを伺わせる、ととのえるまでもないベッド。
それでも少し乱れているシーツ…たまには、使うんだ。
シーツにある波に手を伸ばし、ゆっくり、引き寄せる。
それを頬まで持っていく。
「ひ、えい」
自分にとって、甘くて堪らない存在の、あの香りがした。飛影の香り。


自分には分かる。飛影の腕の臭い。ぐい、とシーツを唇に当てて、
瞳を閉じる。
高級な素材のシーツも、蔵馬の脳内では、いつもの自分の部屋での
二人が居るベッドの中に変わる。
飛影、飛影、と2度ほど呟いて、右の指で、シーツを撫でてみる。
そうして、ゆっくり飛影のベッドに横たわる。
何度も何度もシーツを撫でて。
シーツに吸い込まれそうな声で、名を囁く。

その時…

「…!!!」


バッ、と蔵馬は身体を起こした。夢の中にいた感覚だったが、
人の気配がする。
部屋の外に誰か居る。

甘く酔いしれた世界から現実に戻ると、また心臓が早鐘を打った。



指先でシーツを真っ直ぐにすると、飛影の部屋を飛び出そうとした。
カツカツ…
耳に聞こえて来たのは…
飛影!
全身の血が逆流したような気がした。会いたい、会いたくない。
少しずつ大きくなる靴音。
ああ、こう言うとき、自分も窓から逃げられたら。


そして飛影の部屋の入り口まで来たとき…
ドン!
何かにぶつかって、でも顔を上げることは出来なかった。
思わず相手を見上げそうになった。…でも出来なかった。


飛影!
この逞しい肩。
飛影!

心臓が爆発するかと思った。
ほんの僅か、結い上げた髪が、相手の肩をかすめた。



それだけの筈だった。
振り返ることなく、蔵馬は廊下を走った。


今は誰にも会いたくなかった。
人間界はもう夜で、逆にそれが少し慰めになった。

ぼすん、とベッドは蔵馬の身体を受け止めた。
闇の中で、静かに眠ってしまいたい。
自分の部屋に入ると、蔵馬はそのっまベッドに身を投げ出した。ばさ、と髪を解く。

乱れたままの黒髪も気にならず、そのまま瞳を閉じた。


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

そうして数日が経って…。

変わらない日々が過ぎた。

会社は相変わらず忙しく、流されるように過ごしている。
「ふあ…」
眠い…。
もう夜の10時を回っている。マンションの前で目を擦りながら、
あくびをかみ殺す。
エレベーターで自分の階まで行って部屋を開ける。
「ただ今。」
別に誰も居ないのに、何となくそう言ってみる。
いつものように部屋は静かで…。
けれど、次の瞬間、電気をつけた手が止まった。


「ひ、え」
覚えのある気配がする。

部屋が明るくなったと同時に、蔵馬のベッドで、飛影が座っていたのが
見えた。

まさか来るなんて思って居なかったので、と言うより、来ないと
思って居た。


だから、喜びよりも、驚きが先に立つ。
「い、いらっしゃい」
引きつっているのが自分でも分かる。

満員電車の着かれも、競合に勝つために考えなくてはいけない
ことも、吹っ飛んでいく。
「どうしたんですか?!今日は怪我していないの?」
ああ、ちょっと待ってて、お茶でも入れるから、と言いかけて…。
「わ!!」
思わず高い声が出た。



反転。
見ていたものが全て反転していた。

柔らかい物が、背に当たる。
気付いたら、ベッドに倒されていた。

緋色の瞳が、蔵馬を捉える。


「飛影!?」
なに、どうしたの、何故と聞く余裕が無くなる。
頭が混乱して声がうわずる。
びくん、と首筋が震えた。
飛影の指が蔵馬の後ろに回り…
「な、なにす…」
「ちょっと黙ってろ」
低い声が響く。蔵馬に緊張が走った。
デジャブのような感覚が襲う。

さわ、と飛影は両腕で蔵馬の髪を捉えて引き寄せて…

「似合うじゃないか。」

「…!」
耳に聞こえて来た言葉に、蔵馬が固まる。
百足で飛影の部屋に言ったときと同じ髪型…。
飛影の手で、それが作られていた。

「な、何ですか…いきなり…」
悪戯しないで、と怒ろうとする。でも上手くできない。
視線が彷徨って、飛影をちゃんと見ることが出来ない。


「なるほどな…おもしろかったぞ。だが…」
蔵馬にのしかかったまま、飛影は小さく笑う。
「ひっ…飛影!?」
「気に入らないな。」
背を、汗が流れた。
「勝手に忍び込みやがって…」
怒っているのかそうではないのか。
捉えられないから、蔵馬の中に混乱が広がる。
「忍び込む?なんの話…」
そんなわけ無い、と笑おうとした。
「こうしていただろう?」
もう一度蔵馬の髪を強く頭上に引き寄せて、今度は蔵馬の口元で囁く。

飛影の声は久々すぎて…脳まで突き通るようだった。

誤魔化そうとして、誤魔化す言葉が出ない。


「どう言う気まぐれだ?。」
言ってみろ、と甘い声が囁く。
「…り…たくて…」
普段の…あなたが知りたくて。
百足でのあなたが知りたくて。
「それであんな格好をして?女の格好をしてまで?」
女みたいって言われるのが、嫌なくせに。
からかうような口調なのに、逃げ切れない力がある。
「だっ!!!だって!」
今度は蔵馬の番だった。飛影を突き飛ばす。普段はやらないことも、今は出来た。


飛影、分かってない。


いつの間にかゴムで飛影が結い上げたので、髪が綺麗に降りないのが歯痒い。
「だって、最近あなたずっと、何か隠しているんだから!」
本当は怪我をしているのに、ずっと隠している。
ここに来るときは、その傷はなかったことにしている。
「俺は、そう言うことを隠す相手って言う事ですか!?」
ベッドの脇に、追い詰められたように背を預けて、瞳が潤んでいた。


みっともない。
やだ、でも止められない。
「百足で全部治療できるし満足しているんでしょう?」
大事な傷、隠されている…。
「ここに来ないから、百足でのあなたが気になって…」


深い碧の瞳が落ち着き無く彷徨いながら、自分に伝える言葉を聞いて、
飛影は甘い物を感じていた。
上手く表現が出来ずにいる蔵馬からは痛い物が伝わるのに、飛影の
胸には甘い物がせり上げる。

「それで…か…で、どうだった?」
ベッドに乗り上げて、飛影が蔵馬に迫る。
「シーツに、お前の香りが残っていたぞ。…可愛かったぞ。百足の服」
「…!!」
蔵馬が言葉をなくした。
全身を熱いものが駆け巡る。火照った顔が元に戻らない。
「どうだった…?」
「…かなわないなって…思いました…。百足の施設にかなわないなって、
そりゃあ飛影も来ないよねって」
乾いた笑いが出た。


ああ、こいつは馬鹿だ。
頭はいいのに馬鹿だ、クラクラする。飛影は、初めて目眩を感じた。


黙って居ると、蔵馬は続けた。
「だって…俺は女みたいだから嫌なんでしょ。だから来なく
なったんでしょ」
「…女みたい…?」
訊きながら飛影はズイ、とベッドで蔵馬との距離を縮めた。

逃げ場がない蔵馬は、飛影を見ないようにした。
「前に言ったじゃないですか…!」


 『俺の手当てするのが嫌なのか…?』
 『細かいことを色々言うヤツだな…女みたいだな』


ハッとした。
そんなこと…確かに言った覚えがある。
覚えがあるが…。


飛影はまた目眩を感じた。さっきよりも強い目眩を。
ああ、馬鹿だ。でも嫌ではない。


「俺は女みたいに煩いヤツなんでしょ!?」
「そう言う意味じゃない!」
蔵馬の勢いに押されて、飛影も強く出る。
「あれはお前があんな目をするから。…女みたいに苦しそうな
目をするから!」
「女みたいな目?」
碧の瞳が飛影を見つめた。
「そうだ。苦しそうにするから」
だから会いに来るのが嫌になった。
血を見る度に蔵馬の表情が浮かんで。
「俺は闘いをやめる気はない。そんなこと出来るわけがないだろう。でもお前は!」
手当てする度切なそうにするから。


「だっ…て。だって、無茶ばかり」
言う蔵馬の頤をとる。
「そうでないと、今度はお前が怪我をするだろうが」
びく、と蔵馬の頤が震えた。
「どう言う意味…」
「闘いの最中、後先考えず飛び出しそうだから!」
だからもっと、もっと強くなるための手段は、今の飛影には大切なこと。
「俺、そんなことしないよ!」
否定する蔵馬の頬を、指でなぞる。
「だが、現にお前は今まで血まみれだっただろう!」
口では無茶はしないと言っても、その場に立ったら何をするか分からない。


「よく聞けよ。なんのためにこの腕があると思ってるんだ」
「え…。」
「もう、黙れ…」
髪を解いて、蔵馬の肩を押さえつける。

もういい。


蔵馬の血を流さないことを噛みしめ、自分の治療係は、蔵馬なのだと確信した。






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