ささやきの愛撫





「くっ…」肩を押さえて蔵馬はうずくまった。
剥き出しの肩から赤い血が流れ、地面を染めた。
土色に、朱が混じり不気味なにおいがあたりに立ちこめる。
鼻をつくそれに気をとられることもなく、敵は蔵馬の髪すれすれに
刀を割り込ませた。


「…負けを宣言しろ」
蔵馬は唇を噛み締めた。
息が上がり黒髪が乱れていた。体力が限界なことは解りすぎるほど
だったが、まだ負けたくはない、そう思った。だが…。


ハッとして視線を感じた。そのとき。
視られている。見ている…飛影…。
射貫かれている、自分のすべてが。どこからか解らないけれど。
それは熱くて冷静な視線だった。

…自分のすべてを見つめられて闘いを見つめている。熱を帯びた視線に
気づかないはずはない。 思い出す記憶があった。
だから。
蔵馬は立ち上がると小さな声で負けを宣言した。



負けることは好きではなかった。
だけど己の力を認めることも大切だといつか飛影が言っていた。
赤い瞳の中で見えるものは熱さだけではなく、いつの間にか
培っていた理性だった。
結果だけにこだわりすぎると、自分のからだが傷つくだけ。飛影は、そう言っていた。
血を流して立ち上がれなくなる前に降りることも大切だと、飛影は言っていた。
あなたはどうなのと言うと、俺は傷ついても平気だと言われた。お前は傷つくなと…。

トーナメントは意外ときつい闘いで、ずっと勝ち続けられることは
無理とは思ったが、やはり負けは好きじゃないな。
思いながら蔵馬は、空を見上げた。
視線が消えている。 飛影。…もう。

見ているなら、そばに来て欲しいのに。





闘技場を抜けて通路を抜けると、会場の入り口に出た。
そこからは鬱蒼とした森が広がっているだけで何もない
暗がりだけが見えていた。


どうしよう。
飛影の視線は遠くて、どこからか解らない。追いたいけれど
…出来ない。
そのとき、足がもつれて蔵馬は倒れ込んだ。
「<っ…」
靴から血がにじんでいた。連戦の痛みは意外と激しいらしい。
腕からも切り傷が痛み始めていた。震えながら立ち上がると、
そばにあった樹に捕まる。

ハァ……
荒い息をつきながら歩き出そうとしたとき、
「蔵馬…。」
覚えのある声にハッと振り向いた。驚いて警戒の視線を向けると、
黄泉だった。




真っ青な顔をしてそれでも蔵馬は冷たい視線を向けた。
「どこへ行く」
黄泉は余裕の表情で近付いた。後ずさろうとして、その瞬間、
「う…」
走った痛みに、蔵馬は呻いた。

「関係ないだろう」
「そうはいかないな…」
所々破けて剥き出しな肩や腕を、黄泉は簡単につかんだ。
「…離せ!」
睨み付ける蔵馬を尻目に、黄泉は足を引っかけた。
「…っ…!」
小さな刺激でさえも、痛みを引き起こす…黄泉への警戒で、忘れていた…。

「何をそんなに急いでいた。人間の体ではトーナメントでは
勝ち進めまい」
くす、と笑うと黄泉はのしかかった。
「…離せ!侮辱は許さない 」
「ふん。まあいい。それよりも、そんな体でうろつかない方が
いいと思うぞ」
瞬間、空気を裂く音がした。



「…やめろっ…!」
あ、と言う声は悲鳴のようだった…黄泉の拳が、蔵馬の腹に
めり込んでいた。まさぐるような手だった。


「あの男か」
「…!」
視線をそらす蔵馬に黄泉は微笑んだ。
「用があるとか言ってどこかへ消えていったぞ。
女と一緒にな」
「!」
視線が絡んだ。一瞬泣きそうになった蔵馬を見て黄泉は高笑いした。
「今回トーナメントに出なかったのは、その女と約束がある
からじゃないのか?」
びくっと蔵馬の腕が震えた。


知らない。そんなこと。何も言ってくれなかった…。…飛影…。
パタンと地に落ちた白い手に黄泉の手が重なった。



ボロボロの布と化した服が、切れる音が響いた。


「いやだっ…!」
いやだ!飛影がどんなつもりでも、自分の思いは自分だけのもの。
他人に壊されるなんて嫌だ!嫌悪感が胸を走る。
碌にちからが入らず、それでも抵抗しようとする蔵馬をあざ笑う
ように黄泉は舌を這わせた。
そのとき。



「っ…!」
ピシっと気配を感じて黄泉は振り向いた。背に、冷たい刃の気配。
「何をしている」
斜め上から見下ろす視線…氷のような静寂があたりを包んだ。…飛影。




蔵馬の瞳は硬直した。
潤んだ瞳は飛影を追った。
飛影の瞳の奥には怒りか驚きか…言い表せない炎が燃えていた。



…張り詰めた静寂。
ギリ、と飛影は黄泉を睨み付けた。
地の奥から震えるほどに、奥では何かが燃えていた。
低い笑いを漏らすと…不気味な温もりが消えた。

「捜し物が現れたか」
低い笑いを漏らすと、蔵馬の体を離した。
「邪眼師。勝敗はまたにしてやる」
不気味な笑いを残して黄泉は立ち去っていった。


残された蔵馬は、震えながら立ち上がった。
「ひ…え…」
なんと言っていいか解らず、蔵馬はよろけながら飛影を見上げた。
「あの…」
口をついて出てきたことばは、うまく形にならなかった。飛影の闇に
近い瞳が、蔵馬を射貫いた。
その瞳は、何を考えているのか、分からない。
それでも、蔵馬の瞳に溢れてきたのは煌めきだった。飛影が、今来てくれた…それだけが
心を満たす。弾かれたように、蔵馬は動いていた。
…半瞬後、抱きついていた。
ただ、ただ呼んでいた。
飛影っ…!
そっと、冷たい手が蔵馬の背に触れた。


「…っ…」
…びくっと震えるからだが痛々しくて…けれど飛影は正直…少し興奮する。
このからだに、自分への想いが溢れている気がした。
蔵馬のからだは全てで飛影を呼んでいた。それは、聞こえたのだ。
どんなときでも蔵馬は飛影だけを呼んでいる。それが飛影のからだを満たす。
こんなにきれいなこのひとは、自分のものなのだ。 …口には出さない。
白い肌に赤い血は、どこか現実離れしていてそして魅惑の香りを放つ。
拭いてやると……蔵馬は戸惑いの瞳を向けた…。


「飛影」
訊きたいこと…言いたいことはあるのに言葉にはならない。碧の瞳を揺らすと、
蔵馬は黙って飛影を見つめた。

長い髪を飛影が梳くと、蔵馬は更に緊張の色を増した。
視線が絡んで、何度かそうして…

極度の緊張が蔵馬を包み始めると…飛影は唇を重ねた。
「…っ…!」
吐息でささやく。





――消してやる――


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥


この白い肌は全て自分のものだと、飛影は思った。宵の月が空に見えた。
仰向けになった蔵馬を、ゆっくり見下ろした。
視線を感じると、蔵馬は肌を隠すように手を交差させた。
「俺を見ろ」
「あ、ん…」
ことさら優しく、飛影は指を這わせた。蔵馬の白い肌に残る傷は、見たくない。
赤い傷を残したくはない。
気づかれないよう気を送る。
指先からでは、蔵馬には解らない。
気疲れず消してしまいたい。誰かが傷つけた跡などなかったものに。
すべて、なかったことに。
「んっ…」
胸が跳ねると、飛影は視線を合わせた。かっと赤くなると蔵馬は目をそらす。
飛影は、蔵馬の肌に舌を這わせた。ぬるぬると絡む舌が、蔵馬の奥までを濡らしていた。
黒髪が…綺麗だった…。 「んん!」
蔵馬の足を開いた瞬間、甘い声が聞こえた。
濡らしているそこに、指を差し込むと、太股がビクビク震えた。
そうだ。これを、手に入れたかった。
吐息も高揚する肌も、手触りも…。
ゆっくりなぞると淡い呼吸が聞こえた。
「待って…」
待ってと言うくせに、奥からは刺激に応えて甘い蜜を放っているのだ、欲しいくせに恥じらいを持つ。
この瞬間が好きだ。
「あ、んっ…」
中心を口に含むと、蔵馬は頭を振った、疼く甘い感覚。
蔵馬の奥を含むぴちゃ、と言う音が、飛影にまで聞こえた。
びくんと震えると、奥からもっと甘い蜜があふれ出した。
「はっ…あぁ!」
俺のものだ―――
小さな唇から飛影、と漏れるたび、奥底から甘い疼きが突き動かした。
飛影は、荒い息を吐いた。
「蔵馬…!」
「ひ、えい…」
深い碧の瞳が、飛影と絡んだ。その瞬間、突き入れたのだ。
「あ、ああ!」
涙が、月に溶けるようできれいだった。

「あ…」
縋るようにのばされた腕を握ると、まぶたに口づける。
滾るものを感じているのはもしかしたら二人ともかもしれない。
しなやかに差し伸べられるからだに、飛影は少しいたずらをし
てみたくなった。


蔵馬、と吐息でささやいて、僅かに体を離す。
「―――あっ」
一瞬現実に帰った蔵馬は、飛影を見つめた。飛影を射貫く。
離されたからだと体に、冷たい空気が入り込む。
「蔵馬」
「いた…」
ふわ、と蔵馬は笑っていた。
「ずっとね…、あなたの声だけ、繰り返していたんだ」
意識をなくしても、飛影の声だけをずっと繰り返していた。飛影の声だけが、心に響いていた。
「飛影が、いて…良かった」
今瞳を開けた瞬間に、飛影が見えた。抱きしめてくれている飛影の腕に、そっと蔵馬は
身体を寄せた。
「好き…」
「分かっている」
強く引き寄せると、蔵馬は小さく微笑んだ。
「離さないで」
「大丈夫だ。どんなところに居ても、お前のことだけだ」
そっと、囁くともう一度と、強請る視線を送ってくる、蔵馬。
「お前以外に、俺を満たすやつがいるか」



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