white lily




重いため息は、何度目だろう。

コエンマは、ゆっくり手を止めた。

「はぁ…」
ここ数日、ずっとこうだ。見ている書類が、重なって揺れて見える。駄目だ。

もう、頭が内容に向かない。
もっとしっかりと読み込んで理解をしなければいけない…分かっている。

頭を抱えながら執務室を出る。広い廊下。
煌めいている壁を黙ってみつめると、コエンマは歩き出した。無機質な
白さは美しく、しかし今は恨めしく感じる。明るすぎて、心に響かない色。
ああ、こんなに澄んだ色ではなくて、ベージュの…そうだ、人間界の
街にあるおいしそうなケーキを扱う店の壁のような色にならないか。
そう思って、ふと笑う。

最近裁判の書類が溜まって、一人でそれを見つめるだけの日々。

他人の全てを言葉だけで抱えるというのは、難しい。


頭を整理する時間もなく、部屋までの足取りは速くなる。

長い長い廊下を歩いて、部屋に着く頃には体が重く感じられて…。

どさっと、ベッドに体を預けると、
「くらま…」
小さな声が漏れた。
こんなとき、抱きしめたい。
人の体の香りを感じたい。
柔らかい体を抱きしめたら、もっと張り付いたものも消えるのに。
そう思ってベッドの上で、うつ伏せで手を彷徨わせた。その人はいる
はずもなく、ふわふわの布団だけが自分を迎える…と思っていた。

が…

「呼びました?」
聞こえてきたものがあった。

「…!」
ハッと振り返ると、窓に体を預けて立っている、蔵馬がいた。
白いシャツにズボンの、日常の格好で、蔵馬はそこにいた。
「くら…」
呼ぶ声は、途中で消えた。幻かもしれない。

「こんな時間までお疲れ様」
蔵馬は小さく笑った。からかうように。
「俺も帰り、遅くて、会いたくなったった」
舌を出してくすっと笑う瞳。
悪戯な色をしている奥の甘いものを、確かなものだと、奢って
良いだろうか。


蔵馬がベッドに座ると、ほのかに、ジャスミンの香りがした。
ベッドは沈まない。蔵馬は、軽い…。そっと白い指が伸びた。
うつ伏せで力が抜けていたコエンマの顎をとると、唇が重なった。
「会いたいのは、同じだよ」



・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥



「あ、ん…」
白い体はいつでもまぼろしのようで。
それでも確かに今自分のものだと、コエンマは思った。
その確かなもの、なぞると跳ねるからだ。舌で胸をなぞると、
生暖かい感触に目をそらすその恥じらいを、時々
壊したくなる。
本当は欲望が渦巻いているのだと、認めさせたい追い詰める…ことは
したくない。したくないけれど、本音を暴いてみたい。自ら曝け出すように。
啼かせてみたい。
相反する情熱は吐息になって、蔵馬の唇に重なる。
「んんっ」
仰向けの蔵馬は、コエンマの首に手を回しただけ…拒まない。

「あっ…や!」
足を開くと、戦慄いた口。
奥へ指を滑らせると、や、ともう一度声が上がった。
「力、抜いて…大丈夫」
囁くと、そのまま柔らかく伸ばしていく…びくんと、奥が反応を返す。
「あっん…」
一点を突くと甘い疼きを返すのが、コエンマにも分かる。
じわじわと指を濡らす湿り気を帯びた液体を、すくい取る。
「蔵馬」
可愛いと、正直に全てを言ってしまいたい。
熱を帯びた瞳を向けると、蔵馬はおずおずとコエンマの胸に手を伸ばした。
そっと、コエンマの突起をつつくと、
「あなたなら…いいです…」
かあっと頬を紅く染めていた。

どうして。どうして、一つ一つの言葉で、こんなにも蔵馬は自分を
翻弄する。


「すき…です」
辿々しいのは、夜の中の蔵馬の癖だ。舌先が震えている様が、いじらしい。

「やっぁっ…」
へその辺りをぬるぬると舐め回すと、シーツを掴む指先が、
紅くなっていた。
濡れた体を眺めて、コエンマは小さく口づけた。
「蔵馬」
黒髪が、絵巻の姫のようだった。

「んう!…」
ぐいと、指を入れてそのまま増やしていく。
拒むような曖昧な声とは裏腹に、ゆっくりとそこは指を飲み込んでいた。
「んっ…」
最奥よりも少し手前でなぞって力を入れる…蔵馬の瞳に、甘さが宿った。
「いいか」
聞くと、頷く勇気がないことは分かっている。
ただ、こんな時に、追い詰めたくなる。

「や、こ、えんまさ…」
中心を加えると、足を閉じようと…無意識か…小さな涙が見えた。
ぐちゅ、と言う音が、広い私室に響く。
ベッドサイドのランプだけしかない光が、かえって艶めいた黒髪を
引き立たせていた。
蔵馬の足をがっちりと押さえ込むと、小さな獲物のように力が抜けた。
「あ…ぁ」
びくんと反応を示す蔵馬を、このまま壊したかった。
壊してこの手の中でずっと。返さずに。
「ひっ…あ」
強く梳き抜くと、印のような液体が見えた。


「あっ…は…ぁ」
荒い息をつく蔵馬をちらっと見ると、そのまま白い足に手を伸ばす。
二つ折りにすると、蔵馬は悲鳴のような声を上げた。
「や…っあ!」
ぐいと腰を進めると、シーツを掴む指が腫れていた。精一杯の強がりと
求めている証し。
「くら、まっ…」
「あっは…ぁん…」


熱い。
ずっと、家に帰るときに思い出していた腕がすぐ前にある…コエンマの
腕を思い出していたのは一日だけではない。
癒やされたいと願うのは、あなただけではないのだと…さっき、熱のような
感情がわいた。

「あぁ!」
押し入ってくる感覚は、甘い痛みだった。

手を握るこの熱さは、嘘じゃないのだと…胸の奥で声がする。


初めて見つめ合ったときから、特別だった。
もうここから逃れられない予感がした…。

押し入る感覚に流される。
「ああん!…」
もっと強くしてもいい。きっと、それは体中を締め付ける甘さにしか
ならない。
「くら、ま」
もっと呼んでと。



・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━


そっと、その人の髪を撫でてみる。

今、窓の外では三日月だけが遠く見えている。

眠る蔵馬の瞳はとても幼くて…白く浮き上がるようだった。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…・‥…━…‥・‥…━…‥




人間界に行きませんかと、言い出したのは蔵馬だった。

「これがクリスマスか」
街が賑わっていた。
商店街は明るい歌が流れ、寄り添う人々が、冷たい空気の中手を
繋いでいた。
甘い香りはケーキ屋のものだった。
「そう。この時期街を歩くと楽しいですよ」
マフラーを整えて、蔵馬が笑った。

「ちょっと、来て」
カランと、蔵馬は小さな店の扉を開けた。小さな雑貨や。
ピンクダイヤモンドの指輪に見とれ、コエンマはそっと
手に取ってみる。アクアマリン…、ダイヤモンド…。

「お待たせ」
蔵馬は、ちいさな袋を持っていた。
「これ、クリスマスだから」
声は弾んでいるのに、動きはやけにゆっくりで…。
そっと渡された袋の中…。
薄い黄色の、ブレスレット。
「裏にね…バラの柄があるの」
表には見えない場所に、小さく描かれている模様。
「思い出してね」


鈴蘭のような微笑みが、痛かった。
このときが、止まれば、一瞬コエンマは思った。


「あのね、24日って、月の妖精が生まれた旅だった日なんだよ」
切なげに、黒髪が冷たい風に揺れた。
「来年も、飛んでいくからね」



瞬間、蔵馬の肩を引いた、裏道の柱の裏。

「蔵馬…」
ただ、きつく抱きしめたかった。
宝石よりも、ずっと煌めくものは、何だろう。


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