終末の恋唄

2 二律背反

〜玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする〜



明るい陽のさす午後のことだった。




「ねえ、この映画さあ」
「あ、私も見たかったんだ」
雑誌をめくる女子、ゲームの話をしている、陣と、いつも一緒にいる凍矢。
幽助は夢中の漫画を広げて笑って――それぞれの、明るい休みの時間だ。
きゃっきゃっと笑いあう生徒たち…の、はずだった。
ガラッと開いた扉に、生徒たちが一斉に振り向いた。
珍しく、教頭が立っていた。
昼休み。
「黄泉先生」
生徒会長の、声がした。荒い息をして、黄泉はクラスを見渡した。
「これは、何だね」
黄泉の声は震えていた。ピリ、と広がる張り詰めたものに、女子は
肩を震わせた。
「廊下に落ちていた」
クシャ、と何か落ちた音がした。


それは一箱の、タバコだった。数本使われた跡がある箱。
独特のにおいが残る箱を、黄泉は翳した。

「え、ちょっと」
ザワザワと、声がした。女子が、隅で固まっていた。男子は俺じゃないと
いうサインを、一瞬で送りあう。
「俺じゃねえぞ」
小さな声がところどころから、聞こえた。
ヒソヒソとした声と否定の声が混じる。

「この階には、このクラスしかない」
黄泉がガン、と扉を叩くと、パラパラ壁が欠片になって、散った。


黄泉を。蔵馬は遠くから見上げていた。
本気の制裁を、この先生なら、多分…。
この、タバコ…まさか。
まさかと、隣の人を見た。丸い瞳が、細められた。

…でも…いや…

認めたくないのは、幼いころから一緒にいる意地だろうか。

「先生、俺です!」
口が、先に動いていた。
ガタンと、蔵馬が立つ音がした。
「俺です」


違うざわめきが、クラスに広がった。
うそ、まさか、なんで。
「蔵馬…君が?」
黄泉が、数秒して声を出した。
手にしていたタバコと、蔵馬を交互にみる。困惑と疑い…驚き…。
もどかしさが黄泉を襲い、丸みを帯びた蔵馬の顔を見つめた。

その時だった。

固まっていた空気を、破る声がした。
「あ、黄泉先生、すみません!」
明るい声を…コエンマの声だった。緊迫した空気を気にもしないように、
コエンマは教室に入ってきた。
いやあ、すみませんとコエンマが笑う。
高い声が、黄泉とは対象的だ。
「それは、私のものです」
そっと黄泉の手に、自分の手を重ねてコエンマは言った。
「こっそり吸っていたつもりだったんですが」
本当に申し訳ないと、コエンマは繰り返した。
「コエンマ…」
黄泉は、クラスを見渡した。生徒たちが、コエンマに飲まれて何も言えなかった。
「蔵馬、すまないな、この間買いに行かせてしまって」
生徒を小間使い代わりにしてしまって、と頭を下げたのは、コエンマだった。
蔵馬は、何も言わずただそれを見た。一瞬俯いて。




黄泉は、わかったとだけ言い、このことは終わりだと去っていった。













午後の、授業は只の朗読のようにしか聞こえず、クラスには曖昧な
静けさが残った。



終わりの挨拶をしたコエンマは、いつもの笑顔だった。女子は、不思議そうに
去っていった。


「蔵馬」
肩に触れる手に、蔵馬は振り向いた。
「幽助…」
「あの、今日…」
いつもとは違う、暗い声。蔵馬を見ることが出来ず、幽助は項垂れていた。
「お前…」
「幽助、だよね」
遮ったのは、蔵馬だった。小さく、蔵馬は笑った。表情とは違う、低い声。
ギリ、と唇を噛んだのは蔵馬だった。
「予想、当たったね」
「どうして、あんなこと」
グイと、幽助は蔵馬の制服を掴んだ。しわが寄るほど。
「なんで、かな、衝動だから」
そっと、蔵馬の手が伸びた。幽助の、肩に。
「もう、バレちゃ駄目だよ」
ね、と、小さな痛み…。デコピンだった。
「わりい…」
「毎回庇えるわけじゃないよ」
小さな、蔵馬の声に、幽助がごめんと言った。床に落ちる雫は、
幽助のものだ。


ゆるく手を振ると、走り去る幽助を見て、ため息をついた、




「蔵馬」
だから、気付かなかった。コエンマの視線に。
「先生」
もう、教室には誰もいなかった。
「帰っていなかったのか」
「…はい」
入り口に立つコエンマは、蔵馬よりも少し背が高く、ただ蔵馬は
コエンマを見上げた。
「もう冬だ、寒くなるから帰りなさい」
「…あの」
消えそうな声で、蔵馬は問いかけた。


「どうして、助けてくれたんですか」
吸い込まれそうな、声がした。つばを飲んだのは、コエンマだった。
「私も、お前に、聞きたい。なぜ、あいつを庇った」
尋問ではなく、素直なただ疑問を口にした…つもりだった。素直な言葉は
時としてとげになることを、コエンマは瞬時に意識できるほど、完璧なひと
ではなかった。
「庇うような相手には、見えないが…」
「幽助はっ…大事な友達だからです!」
高い声が、響いた。蔵馬は、コエンマを見た、睨むような瞳。
潤んでいる、丸い瞳。叫ぶような声で、蔵馬は手を握った。
「だが、もっと他のやりようが…」
「分からないのに、偉そうに言わないで!」
失くす気持ち…。
コエンマは、僅かに怯んだ。





〜私の命よ、終わってしまうのならば終わってしまえ。
これ以上生きていると、恋を打ち明けるのを隠している我慢の心
が弱ってしまい、もはや耐えられそうにない〜
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