LINKAGE 1




どんなことでも、たった一つの言葉では不十分だと、分かっていた。
けれど、時が経つにつれ忘れてしまう。
和やかな日々の中で、全てわかり合っている、そんな錯覚を抱いてしまうようになった。
分かっていてくれると思って居た。
きっと、自分で思うよりも深く、分かってくれていると思い込んでいた。


だから。
だから、静かな夜の闇の中で、荒々しい声が響いている。


南野秀一の部屋の中で…。
カーテンが揺れて、夜中の穏やかな空気の中、そこだけ時間が違うように、
激しいやりとりが繰り広げられていた。

「だから、そんなに直ぐにはいけないんですって…!」
「一緒に来い、と言っているだろう!」
荒々しい声はトーンを上げ、勢いで、グイ、と白い蔵馬の腕を引っ張る。
「いった…!」
「お前が来ないなら連れて行ってやる!俺は気長な方じゃない。」
「飛影…!待ってよ…。そうじゃなくて、俺…まだこっちで…。」
「お前、本当は俺のことなんか好きじゃないんじゃないか。」
飛影の腕を振り払おうとした蔵馬は、その言葉に固まった。
余りの言葉に、一瞬頭の中が機能しなくなる。丸い瞳を見開いて飛影を見る。
「そんなこと…。」
飛影が何を言って居るのか整理できず、声が小さくなる。
ベッドに座り込んだまま、蔵馬は直ぐそばに立つ飛影を見つめた。
「無いと言うなら、魔界に来い。」
静寂を破り、飛影の声が降ってくる。もう、今日何度も聞いた言葉。

今すぐに来い。魔界に…。
「だから、それはまだ出来ないんですってば…!」
つい、蔵馬も声を荒げた。何故分かってくれないのだろう。
前にも話してある。自分はまだ人間界でしなくてはならないことがある。だから、と。
あのときは怒らず聞いてくれたのに。
何故今になって突然…。そう思った蔵馬にいらつきが増したのか、飛影がもう一度、腕を引っ張る。
「行くぞ。」
「え…あ…!」
待って、と今度こそ、蔵馬は飛影の腕を強く振り切った。
「俺はあなたの言う事を聴く義務はないんです、待って下さいって言ってるじゃ…。」
キッと、飛影を睨む。その勢いに一瞬押された飛影だった。ほんの僅か、蔵馬が泣きそうに引き緩む。
どうして今日に限ってこんなにしつこく言うのだろう。

「お前、本当に俺が必要なのか。」
手を引っ込めた飛影が、冷たい声で言う。
「え…!?」
戸惑いの表情をして蔵馬は飛影を見る。
開けっ放しだった窓の外から月の光が差し込んで、蔵馬の黒髪に反射する。
俯いた、蔵馬の肩が小さく震えた。
「そんなこと…。」
そうじゃなくて、俺はあなたが…言いかけたとき、被さるように飛影の言葉が降ってくる。
「どうだかな。俺は、人に会わせるほどお人好しじゃない。人間みたいにな。」
「飛影!!」
ハッと顔を上げると、蔵馬は窓に駆け寄った。飛影は、はあ、とため息をついて窓に足をかけていた。
「待って!」
フワ、とマントが靡くのが見えた。手を伸ばし…飛影、と呼ぶ。

しかし。
窓から伸びた白い手は、そのマントに届かなかった。
飛影、と言う声は夜の帳に消えた。


それは、それから数日後のことだった。
「よお、蔵馬じゃないか。」
駅前の本屋を出た所で、覚えのある声に、蔵馬は振り返った。
「幽助。どうしたの、こっちで会うなんて珍しいね。」
「お前の所に行こうと思ってたところ。」
お袋から、と、もらい物らしいお菓子の袋を持っている。
「ありがとう。でも今日はごめんね。ちょっと仕事立て込んでいて、帰ってから忙しいんだ。」
曖昧な表情で微笑むと、幽助は分かったと笑い返した。
「またね。」
「ああ。…って、蔵馬。」
背を向けて帰ろうとした蔵馬を引き留める声に、家の方に向けようとした足を止める。
「蔵馬。お前…ちゃんと食べてるか?」
「え…うん…食べてるよ。」
「なんかちょっと痩せたんじゃないか?大丈夫か?」
蔵馬の顔をのぞき込みながら幽助が真剣な目になって言う。鋭さに、蔵馬は汗を掻きそうだった。
「そんなことないよ。夏ばてしちゃってるからかな。」
あは、と笑う。我ながらぎこちない笑いになったなと思うけれど仕方がない。
「そうか…?ならいいけど…。」
と、ガサガサと幽助はポケットを探り出した。
「んでも…あ、あった!」
開かれた幽助の右手から出てきたのは、チョコレートだった。コンビニでよく見かけるチョコレート。
「これやるから、ちゃんと食べて元気出せよ!」


じゃあ、と手を降って幽助は去っていった。

「幽助…。」
勢いに押されながら、蔵馬はクス、と笑った。
ありがとう。
不意打ちの優しさに、少しだけ胸が温かくなる。
だから。 「来たよ、幽助。」 その夜、12時近くになって、蔵馬は屋台を訪れた。幽助の明るい声が蔵馬を迎える。
「蔵馬!来たな!。醤油?」
「うん、メール貰ったから来たよ。醤油、ありがとう。」
久しぶりに屋台に顔を出した蔵馬に、幽助は表情を緩ませた。


とは言っても、蔵馬が来たのは幽助からメールを貰ったからだった。
屋台に寄りなさい、と言う一言だけ。
でもその中に、心配が見えて、笑ってしまった。
お節介な親切な人。
「ちょうど最後の客が帰った所。お前だけ貸し切り。」
「あはは、なんか凄い表現。」
笑ってラーメンのどんぶりを受け取る。
「美味しい…。」
ふうふう冷ましながら言う蔵馬を見て、幽助が身を乗り出す。
「おめえ、飛影となんかあっただろ?」
カタン、と蔵馬の手が止まる。
麺をすすっていた顔を上げて、蔵馬は視線を彷徨わせて、緩く笑った。
「何にもないよ…何言ってるの。」
「いや、何となく感じるんだよ。飛影と、何かあっただろう?」
冷たい水を出しながら蔵馬をのぞき込む。そうすると、幽助から目を反らせなくなる。
「べ、別に…何もないよ…。だって…。」
水を一気に飲み干すと、蔵馬は小さく呟いた。


「俺、飛影の、何でもないもん…今は、多分。」

ごちそうさま、と言って、手早く千円札を置くと、蔵馬は去っていった。
ふわ、と甘い香りを残して。

一瞬だけ見えたその顔に、雫があった…気がした。


それから十日が経った。何の偶然か、雨が続き、閉じた窓には雨粒が見える日々が続いた。
白い指で、窓に、文字を書いてみる。
ひ…と書いた所で、指が止まった。憂いを含んだ表情は、雨の所為ではないけれど、
晴れない日々で、益々心にもやが掛かっていく。
そして、ちらっと、机の上の袋を見る。小さな袋は幾つも置いてあって、その中には 薬草が入っている。
お湯に入れて飲めばいいように、粉にしてあるものだ。誰のための物か、幽助が見たら、 心配性だな、と笑いそうなくらいだ。
「要らないかな。」
百足ではきっと、しっかりとした医療班が居るだろう。そう思うと、全て無駄なことかも しれない。
だけど、手が止まらなかった。頭の隅で、無駄だよと言う声がしたけれど、呪文に掛かったように、
夜中に作業を止められなかった。
「あは…。」
馬鹿だなと思う。くすくす、と笑う。切なくて乾いた笑いが出た。
でも、揺れる瞳は少しずつ強い光を持ち始めた。
それでもやめられないし、それでも、決意がある。

ごく、と唾を飲むと、蔵馬は立ち上がった。

行く先は、一つだけ。

この空よりも暗い空が広がる場所。


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LINKAGE 断ち切りたい運命 そして君はどこへ 過去と未来 モンタージュ 歪んで消えた

水樹奈々さんの LINKAGEを聴いていて浮かんだ話です。
飛影にとっては、蔵馬を待つことは、すんなり受け入れられることではない
のかなあ、色々あってもおかしくないのかな、と思いましたので。
この曲大好きで、歌詞が飛蔵に聞こえて堪らないです。
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