LINKAGE 4



「何をしに来たとは何だ…ここはオレの要塞だ。」
躯はそう言ってわざとらしくため息をついた。
何故か廊下は人が通る音がしていない。おかしな偶然だ。
飛影は、冷たい瞳で躯を睨んだ。…尤も、それを気にするような相手ではない。
それに、いつもの燃えるような力も、今の飛影の瞳にはない。
もし、飛影を余り知らない者が見たら後ずさっただろうか。
だが、女王はそれほど純情で脆くはない。
躯の言葉を促すでもなく、飛影は、治療している部屋の奥の臭いに鼻をぴく、とさせた。

血の臭いだ。
きっと蔵馬の腕を覆っている包帯に染みこんだ…血の臭い。

『うあ!』
あの武術会でも、蔵馬は血を流して倒れ込んでいた。
爆弾の中でよろける蔵馬を、何度引きずってでも戻そうと思った事だろう。
凍矢との闘いの前に、ぼろぼろだった蔵馬の、今にも倒れそうな身体を思い出す。

いつでもそうだ。
蔵馬が招いたことでもない…それでも、蔵馬が血に染まるのは、いつでも、飛影を
落ち着かなくさせる。
武術会が終わっても、また同じ事がいつか起きる、そんな気がしていた。

その危うさに、本人が無頓着だった。
それが、時として飛影を苛つかせた。

そして…蔵馬のイメージは、危うさと、血のイメージになった。
血の臭いで、飛影はそのイメージが、何度も頭に浮かんでは消えるのを感じて居た。

「蔵馬…。」
蔵馬が飛び出してきたのだと…頭が認識したとき、心と現実がばらばらに動いていて、
直ぐに腕が出なかった。蔵馬を受け止めようとした腕は空回りして、蔵馬を受け止めた のは時雨だった。

飛影の腕を、蔵馬の身体はすり抜けて、時雨の腕に落ちていった。

「落ち込んでいるのか、お前でもそうなるんだな。」
何かを含んだように、躯が飛影に続けた。

唇を噛んで、飛影は躯を見た。
女王の余裕が、苛立ちを増幅させる。

「今時雨が処置をしている。任せておけ。あいつなら大丈夫だろ。」
諭すように、躯が言う。腕を組んでいた躯が、チャリ、と何かを取り出した。
飛影は目だけでそれを追った。
「ほら。」
「…!」
何かが投げられて、飛影は片手でそれを受け止めた。いつの間にか力を込めて
握っていた手を開く。

光っている小さなもの…氷泪石だった。
「…分かっただろう…?」
短く、それだけ言って躯は飛影を真っ直ぐに見た。視線が交錯する。
…分かっただろう。
…譲れないもの。
「それと、同じだ。」

飛影は返事をせず、氷泪石を握り直した。

「返してやるよ。」
氷泪石は、窓からの光を反射して光った。
「…。」
小さくそう言って、躯は背を向けた。
「あとは時雨が呼んでくれるだろ。」

ひらひらと右手を振りながら、躯は去っていった。

「…。」
言葉を発することが出来ず、飛影はただ石を見つめた…と、
その時。
ガチャ、と音がして、覚えのある声がした。
「飛影。」
小さな声で、時雨が出てきた。数時間ずっと籠もっていた時雨は、疲れた表情をしていた。
闘いとは違う疲れが浮かんでいる。
「もう入って良いぞ。」
蔵馬殿は眠っているが、と付け加え、すれ違う瞬間に、幾つか声をかけ…たが、
言い終えたときには、飛影はもう居なかった。

広い部屋は、ベッドとチェストと窓がある程度で、広いのにシンプルなため、 落ち着かない場所でもあった。
その真ん中で、蔵馬は眠っていた。…包帯が巻かれた腕と、治療用の服のボタンの
間から、
腹に巻いた包帯が見えた。
青白い顔が浅い呼吸を繰り返す。
蔵馬から少し離れた場所で、飛影は立ち止まった。
勢いで入ったけれど…額に手を当てる寸前で手が止まってしまった。
蔵馬のからだに触れるには、何故かためらいがあった。

…痩せた、と思った。
ほんの少し、痩せたと思う。何度か唾を飲んで、飛影はそうっと蔵馬の頬に触れた。
最低限だけの電気しかついていないため、蔵馬の顔が、現実よりも数倍青白く思えた。

と…
「ん…」
小さな声がした。
予想外のタイミングに、飛影は手を引っ込める。ゆっくりと深い 碧の瞳が開かれ…
「ひ…えい…」
瞬きを繰り返し、その瞳が焦点を合わせた。ぼんやりとした世界から、少しずつ、
しっかりと飛影を捉える世界へと…

「飛影…。無事…だったんだ…っ!」
身を起こして、手を伸ばそうとして、うめき声を上げる。ズキっ、と痛みが走り、前のめり
になりかける。

とっさに、飛影は腕を伸ばしていた。
「動くな。」
「怪我…してなかったんだ…。」
飛影の身体を、なめ回すように見て、小さく笑う。
張り詰めていた空気が変わる。
「よかっ…た。」
泣きそうに引き緩んだ瞳が、ゆっくり伏せられる。

蔵馬の顔が、飛影の腕に寄せられた。
「血…流れてないね。良かった。」
「お前が。」
飛影の声が、蔵馬を遮る。
「お前が…飛び出たから…」 とっさにそれだけが出た。色々な言葉が頭を巡るが、何をどう言えばいいのか
纏まらない。

「あなたが…傷つかなくて良かった…。」
そう言う蔵馬の腕に巻かれている包帯には、血が滲んでいる。
チェストの上の薬に目を遣ると、何種類もの塗り薬があった。
…そして、気付いた。
蔵馬の息が、少しずつ上がってきている。

「お前…。」
手を伸ばして、額に触れてみる。と…
…あつい…
熱がある。
ふわ、と枕に身体を預けて、蔵馬が飛影を見た。
「ごめんね…。」
ぴく、と飛影の腕が反応する。
…ごめん…?
何を…?
「迷惑かけちゃったね…大丈夫だよ。」

蔵馬はそう言って飛影を見上げて、そしてすうっと視線を逸らした。

そして飛影はハッと気付いた。
さっき蔵馬が顔を寄せていた腕に、何か染みついている。
「…!」
濡れていた、雫が飛影の腕を濡らしていた。
「これからは、手当てする人が居ないけど、渡した薬で暫くは大丈夫ですよ…。」

そばにいることが出来なくてごめんなさい。

潤んだ目で、蔵馬が飛影の身体を見つめた。



水樹奈々さんの LINKAGEを聴いていて浮かんだ話です。
蔵馬と飛影の間にあった溝を、描きたくて
この場面を入れました。飛影は飛影なりに蔵馬を好きなんです。

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