No Way To Say8

モクジ

  甘い香り  

甘い香り


「どうした?浮かない顔をしているな」

聞こえた声に、蔵馬は丸い目を向けた。

「前に居た部屋と違って、緊張して」
頬を、汗が伝った。
「申し訳ありません」
その男は、ふっと笑った。端正な顔立ちの、新しい所有者は、蔵馬に近づいた。


…ここは蔵馬の新しい部屋だった。
引越しは、まるで操られるような速さで行われた。
蔵馬、をどこか置き去りにしていて。
水色の帯は、鴉が指定したものだった。


「年のころは幾つだ?」
顎を上向かされて、蔵馬は怯えたように鴉を見た。


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

-「そう硬くなるな。…今幾つだ?」
「あの…十五。十五です」
ふん、と鴉が笑った。

鴉の顔は、噂どおりに冷たいことに、
蔵馬は気付いた。瞳は冷たくて凍るようで、なめ回すように何度も蔵馬を見る。


蔵馬が、一歩後ろに下がる。しかし、鴉の手はそれを許さなかった。
細い手が、蔵馬の右手に触れた。蔵馬の腰を引き込む。


「お待ちください!」
離れたばかりの人の顔が浮かび、蔵馬は声を上げた。


「十五には見えないな、幼くも…少し上にも見えるものだな、気に入った」

ガタン、と音がして蔵馬の体がふわりと浮いた。

「…あ!」
蔵馬の頬が朱に染まる。鴉は、蔵馬の体を寝台の上に押し倒した。


「お待ちください!」
「面白い。女の反応だな。経験はないのか?」
「…っ…!」
蔵馬の衣が肩まで引き下ろされた。
「…まって…」
上ずった声が漏れた。
鴉は蔵馬をしっかりと押さえ込んで、完全にのしかかると
クッ、と笑った。
「…色々、教えてやる」
勢いで下ろされた上着に、蔵馬は顔を横に倒した。

「低い身分の出とは思えぬほど、美しい。愛してやる」


…愛してやる…

「やめて!」
思わず蔵馬はバンと鴉を突き飛ばした。

「っ…!」
一瞬、からだをぶつけた鴉はしかし、面白そうに蔵馬を見た。

蔵馬は肩から落とされた上着をそのままに、窓に駆け寄った。


…ここには…いたくない…!
蔵馬は上品に枠をはめ込まれた大きな窓から、元に居た部屋を、見つめた。


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…あそこ!


もう誰か、新しい者が住んでいる。中に明りが見えた。

「やっと理解できたようだな」
凍りついた蔵馬に、鴉は薄く笑って近づいた。鴉が近づいて蔵馬は、
後ろに下がった。
鴉は蔵馬を覗き込んだ。
…ここ…


「もう戻れない」
蔵馬は、頷くことも出来なかった。
鴉の手が、伸びる。


「他に誰か、いるのか?」
「ちがいます!」
初めて蔵馬は、大声を出した。脳裏によぎった誰かの顔を打ち消して、
白い腕を鴉の首に回した。


涙は、流せない。
…もういない。
…あのひとはもういない。


「いません」
蔵馬は小さく言った。


「…そんな相手、居ません」
小さく、声が漏れた。
「あなたの愛にこたえます」
白い手が、きつく、鴉の首に回った。
蔵馬の唇が…鴉の唇に触れた。
モクジ
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