SNOW KISS



気がつくと、もう景色は色を変えていた。

熱い日差しが照りつけていた季節が過ぎ、久しぶりに来た人間界はすっかり 冬の世界になっていた。
人々はコートを着込み、足で家路を急ぐ。
人間はあんなものをするのか、と、手袋をしている人々を見て飛影は思った。
空から人を見ながら目的の家に着くと…、色白のその人は、部屋にいなかった。

ん?と眉をひそめて神経を研ぎ澄ませると、気配を感じた。
…ああ。

庭の端で、雪の中で、その人は座り込んでいた。
斜めに降る雪は激しくはないが、人間には寒く感じる物だと思うが…。

何をしているんだ。
声をかけるか迷っていると、ふとその指が動いた。
後ろから見ると少女のような人は、やっぱり手袋をしていた。
ゆっくりと後ろを振り返ると、緩く微笑んだ。
「やっぱり。」
くす、と笑われてむず痒い気持ちになった飛影は、少し蔵馬に近づいた。
「何がやっぱりだ。」
こいつ、と思う。少し憎い所があるその人は、どこかで聞いた民話の中の1ページの ように、景色に溶け込んでいた。
「あなたの気配を感じたから。」
うふふ、と言って、さっきとは違う微笑みを浮かべる。新しい悪戯を見つけたときの ような。
「何をしているんだ。」

「これ、見て。可愛いでしょ。」
薄いグレーの手袋で撫でた小さな塊に、飛影が目を向ける。
それは、小さなうさぎだった。
もう数歩近くに寄ってみると分かるくらい、まだ形が整っては居ないが…多分 そうだろう。
「可愛いでしょ」
可愛いって頷いてよ、と言う迫力を秘めて蔵馬が見詰める。飛影は少したじろいだ。
「あ、ああ…」
「そうでしょ。」
自分で言わせた癖に、満足げに言うと、うさぎの頭をゆっくり撫でた。

まだ途中だったようで、耳として刺さっている葉が片方しかない。
「飛影が邪魔するから、片方だけになっちゃった。」
ちく、と刺すように言うと、飛影がむっとする。
「だから仕返し。」
「なっ…!」
一瞬、わ、と声を上げそうになった。不覚だった…油断していたし、まさか蔵馬が こんな事をすると思わなかった。

飛影のマントが所々白くなり…足下にあった雪をぶつけられたのだと気付いた。
「なにをするっ…!」
肩と手に残る雪を払いながら言うと、
「うふふ。」
ばさっと、2、3個の塊が投げられた。

「たまにはつきあってよ。」
また悪戯っぽく笑う。…邪悪な光を見た気がした。
ばさばさ、と来る雪に、あっけにとられていた飛影は、5回目で目の色を変えた。
「このっ…!」
小さな雪がまだ降っているのに、くすくす笑う蔵馬は、飛影の気持ちを変えた。
「勝てると思うなよ!」
次の瞬間…

「わっ…!」
蔵馬の、悲鳴のような声が響いた。
黒髪の上に、白い塊が落ちてきて…蔵馬の頬を所々白くして、肩を濡らした。
「お前ごときが俺に勝てるか!」
もう一個飛んできて、蔵馬はハッとして投げ返した。

「馬鹿にしないでよ!」
雪にかき消されそうな声の中に、高い声が響いた。叫んだ後に、うふふ、と
眼が細められた。
妙に浮かれた声の中、白い玉が行き交う。
「お前こそ、変な悪戯するな!」
斜めに降る雪が勢いを増して、投げ合う二人の中で視界を遮る。
自分が加減しているのか本気なのか、飛影の黒い瞳の中で、よく分からない 感覚があった。
けれど…
「っ…くしゅ!」
小さく聞こえた声に、付き合っていた手を止めて駆け寄る。
「くしゅん…」
何度も聞こえてくる声に、そばに行って手を取る。手袋の上からでも、冷え切っているのが
わかった。 「馬鹿、何時間外にいたんだ。」
「だって、たまにはいいかなって…。」
沈んだ色を浮かべながらも、声はどこか明るい。はあ、とため息をついて、
「部屋に戻るぞ。」
蔵馬の手を引こうとするが…ぐい、と引かれて、飛影は振り返った。
「もう少しここにいようよ。」

手袋で少し震えながら、蔵馬が言った。白い息が消える。

「魔界に、雪、降らないでしょ。」
コートを着ている上からでも雪は降り続ける。肩を震わせて、切なげに蔵馬の瞳が 飛影を射貫いた。
飛影のマントにも、白い雪がついている。
「何でマフラーしてこなかったんだ。帰るぞ。」

「もう少し、こっちの冬を味わおうよ。」
ぐい、と今度は蔵馬が飛影の手を引いた。予想しなかった勢いで、飛影が蔵馬の方へ 引き寄せられる。
そして、次の瞬間…

二人の隙を降っていた、白い雪が消えた…気がした。
夕刻の空の色が、そろそろ夜の紺に変わっていく所だった。
蔵馬が飛影を抱きしめていた。

冷たい身体なのに、蔵馬の吐息だけが、不思議な熱さを伴っていた。
「どうせ今年もう来ないんだから…もう少し、人間界の冬を
感じて居ようよ。」

どき、とした。
どうせもう来ないんだから…どうせもう来ないんでしょ。
責める響きが小さくて、余計に心地悪い。

たまにある蔵馬の拗ねる言葉の次の、ごめんなさいはなく、僅かな 沈黙の間に、二人の肩に雪だけが降っていく。
「うさぎ、溶けちゃった。」

気に入らない、と言う風に聞こえた蔵馬の声が、違う話で、余計 心地悪い。
誰が悪いわけでもないから、お互い、トゲを投げたくなる。
「そんなに拗ねるな…。」
「拗ねてないもん。」
良いながら、蔵馬よりも強い力で抱きしめる。少しだけ、蔵馬が 暖かく笑う。

「今年はあと一回来られるから…。」
「え?」
視線があう…くるくると回る蔵馬の瞳は、驚いたときは幼く見える。
「来週末、シフトの関係で休みになった。だから大丈夫だ。今日は一泊
できるし…。」
「本当に!?」

ぱっと表情が綻んで、蔵馬が飛影から離れる。そして、
「ちょっ…」
今度は、また飛影がびっくりする番だった。
降り積もった雪が、下から投げられた。
「本当だから、下らないことをするな!」
ああもう、と雪を蹴りたくなってきた。しかしそんなことを言う暇もなく、 たがが外れたのか、蔵馬の悪戯…と言う攻撃は続く。
下から投げられる雪に、マントの半分が白くなってきた頃…

「じゃあ、部屋で暖かいもの、食べようか。」
自分は寒くて肩が震えている癖に、流し目でそう言うと、行こう、と言って
飛影の手を握る。

そうだな…と、飛影が言いかけ…たが…
「ん?」
蔵馬が足を止める。

「どうした。」
「飛影…。」
5歩で歩を止めた蔵馬に問いかけると…。

「あの子。」
小さな猫のような…覚えのある顔が、雪の中、小さな樹の下に座っていた。
…百足の使い魔だ。しょんぼりした表情をして、使い魔は座っていた。
「どうしたの?」
蔵馬が駆け寄ってしゃがみ込むと、使い魔は飛影を見つめた。

「飛影様済みませんが…。」

ぞわ、と蔵馬の背を、雪よりも冷たいものが走る。聞きたくない、と 一瞬思う。
それでも、使い魔は申し訳なさそうにしながらも言葉を続けた。

「今すぐお帰り下さい。緊急事態でございます。青の崖で!」
蔵馬の顔が、雪よりも白い色になった。青の崖とは魔界の端にある崖で、
もしそこに人間が落ちたら
大けがをする可能性もあり、救出は困難な地形であることでも有名だ。妖怪でも、
余り近寄らない。

「蔵馬様、申し訳ありませんが、暫く飛影様をお借り致します。」

早く早く、と焦った声で繰り返す使い魔に、蔵馬は、あ、としか
言えなかった。
どうしたらいいか、分かっている。
頭で分かることも、心の整理がつかなくて、綺麗な言葉が、微笑みが出てこない。

「飛影…。」
数秒だって、それだけを絞り出す。
ひとかけら、手に収まっていた雪の塊が、溶けてトサ、と落ちる。
蔵馬のブーツに落ちて、シミのようになる。
「蔵馬。」
蔵馬の肩を、正面から抱いて、冷たい唇に、飛影の唇が重なる。…こう言う
季節でも、飛影の唇は熱い。

「好きだから…。」

触れた頬は冷たかった。
力が抜けた肩は、いつもよりも華奢に見えた。


「うん…。」
俯いて、何事かを考えて居るようだった蔵馬が、不意に顔を上げる。

「行って…らっしゃい。」




続きはありません。始めに浮かんだのは、雪の中で見つめ
合っている二人でした、そこから一気に話が浮かんだのです。
綺麗な切なさを描きたかったのです。