翻弄のジュリエット




控えめな甘い香りがして、蔵馬は少し首を振った。
チョコレート独特の香りは、余り広がっていると目を背けたく
なってしまう。
甘い香りは嫌いではないが、強い者は苦手だ。
それでも夜中に態々頑張っているのは、明日がバレンタインだから。

14日に来いよ、と謎のメッセージが躯から届き、蔵馬は戸惑っていた。

嬉しさもないわけではないが、何だか嫌な感じがする。

素直に喜んで良いのか…。
ピスタチオを混ぜてトリュフを作った。
こう言うのは得意ではないので、一応ネットでレシピを拾っている。

混ぜながら、目を擦りたくなる。

会社では、女性同士で交換するのに盛り上がっている。


翌日14日は本当に目を擦りながら仕事をした。会社ではやけに綺麗な
義理チョコを一杯もらい、
お返しのことを考えてしまった。
バレンタインは、テレビでは盛り上がっているが現実は色々大変なのだ…。

「お先に失礼します。」
これから魔界に行くと思うと、何だか先に疲れが出てきてしまう。
躯が招くなんて、絶対に何かある。
でも飛影には会いたい…こう言う矛盾したような、ない交ぜな感じが、
自分でも嫌だった。

「失礼します…」
何となくそう、言葉が出て百足の門をくぐる。
躯の部屋に行けばいいのか、一瞬考えてしまうが、態々迎えに来ないことを
考えると、きっと
そうなのだろう。
ふう、とため息をついてみる。
何だか浮き足立っている感じがする、自分でも…。
嬉しさも嘘ではないのが、自分でも少し悔しい。


躯の部屋は上の階だ。
ゆっくり歩きながら、気持ちを整理する。

すれ違う者の中でも、所々、ありがとう、とか、これ…と言う
言葉が聞こえて来た。

―この臭い―――
魔界でもバレンタインが流行っているのか…。
躯が聞きつけて広めているのかもしれない。
最近魔界にも色々な店が出来ている。

躯の部屋に着くまで、気持ちをはっきりと整理することは出来なかった。
ゴクンと唾を飲み、持ってきた袋を確かめてノックをする。
「来たか」
入れよ、と声が聞こえる、きっと気を感じて、分かって居たのだろう。
「失礼します」
「まあそう堅くなるなよ」
ソファに凭れていた躯が起き上がると、手招きをする。
「飛影はまだ仕事中だ、もう少ししたら終わる」
それよりこっちにこいよ、と言うが、やけに微笑みが強くて
蔵馬は固まってしまう。
「あの、今日のお招きはどうしたんですか…」
楽しそうにしている躯が何も言わないので、蔵馬から切り出してみた。
すると…。
「わ…!」
口の中に何か入れられて、その勢いを拒むことが出来ず、それを
飲み込んでしまった。


「ん…」
口に広がる甘い香り。どこがで口にしたことがある…
「これ…」
「チョコレートだ。今日、バレンタインなんだろう?」
そう言って、テーブルの下から、箱を取り出した。
箱には薔薇の絵が描かれていて魔界のものとは思えないほどだった。
濃い青の箱に、薄いピンクの薔薇の中が描かれている…その箱は、
人間界でも高級店のものに見える
ほどだった。所々に金箔が貼られている。
「これ、どうしたんですか」
バレンタイン、という言葉よりも心に引っかかった。
「作らせた。」
降ってきたのは、躯の明るい声だった。
「つ、作らせた?こんな綺麗なものを…?」
箱を開けると、星形や薔薇型など色々な形のチョコレートが、幾つも綺麗に
並んでいた。
「そうだ。研究させて、作らせた。良いだろう?」
「凄い…。」
「バレンタインだからな。」
え、と、今度こそ蔵馬は躯を見つめた。丸い瞳と、悪戯めいた深い瞳が
交差する。
「あの…でも俺…。」
「答えは良い、受け取ってくれよ」
箱を蔵馬の手に載せる。重なった手が温かくて、蔵馬は一瞬ドキッとした。
これが、女の人の手の暖かさ……。

「あ、ありがとうございます…」
人間界で流行っている、上品で口溶けの良いチョコレート…
それに近い味だった。
「その代わり…」
ガタンと音がして、躯が立ち上がった。


「え…」
もう一個、口に何か入れられていた。
甘く小さな塊、さっきのチョコレートの一回り小さなものだった。
「ん…」
躯の方が、少し視線が上だった。
チョコレートを飲み込んだ瞬間……
…あ…

予想できないことに、言葉が出なかった。
暖かいものが唇に触れた。

躯の顔が間近2迫り、その瞳に一瞬囚われた。
真っ直ぐに見つめられて、重ねられた唇の柔らかさに、蔵馬は何も
出来なかった。

「ん…!」
くす、と笑い優美な女王は直ぐに唇を離した。
「お返しはこれで良いぞ」

そう言った瞬間―――

「もっといいもの、見せてやるよ」
覚えのある声がして、蔵馬は振り返った。

唇を押さえて、躯から数歩離れる。
「飛影…」
「今終わった。お前の気を感じた。」
何している、とため息をついて躯と蔵馬を見た。
「バレンタインのおかえしを貰っていた」
悪びれずに言う躯に、蔵馬は目をそらす。
「ふ…ん。」
それなら、と飛影は言って、ゆっくりと蔵馬に近づいた。
怒りなのか呆れなのか、分からない表情に蔵馬は半歩後ずさる。
「俺も、バレンタインに渡すものがある」
「え…?」
どう言うこと―――?―――と蔵馬は飛影を見つめた。
「お前に、きっと似合う。」
蔵馬の両手に、そうっと小さな箱が載せられた。
「あの…「後で見ろ。」」
飛影は少し躯を見た。
「あ、の…でも俺もバレンタインはある…」
「分かって居る。それは後で貰う。だが今は…」


…先におかえしを貰うぞ……

耳元で囁くと、蔵馬を引き寄せた。
「ん…!んん!!」
さっきとは違う、暖かいものが入り込んできた。暖かい…よりも、
直ぐに熱くなった。
飛影の舌が入り込んできて、そのまま壁に身体を押しつけられた。
「ん…ぅ…」
小さく笑って、飛影は躯を見た。
蔵馬の右手を壁に押しつけて、飛影は蔵馬の唇を一周して離れた。
「あ…ふぅ…」

なにする、と言おうとして、飛影の瞳に遮られた。

「おかえしは貰った。…いいもの、見せてやっただろう」
蔵馬を見て、そして躯を見つめた。
蔵馬を一瞬、躯を見つめる時間は数時間にも感じられた。


「っ…」
蔵馬は唇を両手で拭いて、走り出した。

パタン、と音がして扉が閉まる。


「くっ…可愛いやつ!」
躯の笑いが響いた。
「くそっ…もう二度と変なことはするな!」
一瞬後には、廊下を走る飛影の足音が聞こえていた。


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