濁った夢10

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愛することを知らずに 愛されたいと願った
教えて
 教えて 青い花
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深い霧の中にいる、そんな夢だった。 手を伸ばしても、飛影の姿は
見えるのに、近づけば消えてしまう。

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「飛影―――!」 呼べば振り向くのに、手を伸ばせば、瞳があって、
それは拒絶を示す。

そして一瞬で消えてしまう。
「ひ―…」 小さく、声が聞こえた。

そうっと蔵馬の額を撫でる手は、慣れている 飛影のものより少し
大きかった。
「蔵馬どの」
小さく呼びかけても、蔵馬は小さく唇を動かすだけで、意識を戻さない。

現実に戻るのを拒んでいるのかもしれない。

時雨はそう思いながらも、ここ3日、昼と夜、蔵馬に呼びかけるのを
止めることが出来なかった。
時折寝返りを打つのを感じて水を飲ませているが、飛影、と言う
言葉以外外に聞こえない。


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「飛影はどうしているのだ…」
ため息をつきながら、
今日も手をつけることがなかったパンを持ち、 部屋から出る。

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「くそ!」 そして数日後…。 低い声は荒々しく、人間界では
考えられないほど広いこの部屋の壁に、 傷が増えていた。

魔界の中でも頑丈に出来ているはずの訓練所の壁だが、
感情をぶつける しかない飛影の力で、ヒビが入っていた。 斜めに入った
ヒビは、6日の間で、数え切れないほどになっていた。

それでも上手く心を整理する術がない飛影の腕は、
所々血が出ている 程度だった。 一気に成長をした飛影の妖力は、
誰も簡単には入り込めない決意と熱で、 もっと先を目指していた。

前は、そうだった。 けれど… 自分の知っている蔵馬ではない
姿と、ほのかに香る気配が、不快だった。

何かを言いたげに見つめる蔵馬の瞳に耐えきれなかった。

知ってはイケナイ事がある…そんな気がした。…それに…
自分の中に存在していた蔵馬の微笑みだけが、この百足に
来るときに 見えるもの、そんな思い込みがあった。

「くそっ!!!!」 バアン!と音がして、壁が剥がれ落ちそうになった。

暴走のように渦巻いた妖気が、この広い部屋の中駆け巡り…
「大層なことだな。壊すなよ。」

高い声がして、跳ね返された。 「
ちっ…!」 邪魔なやつが来やがって、と飛影は舌打ちをした。
「随分ご機嫌斜めだな。相手してやろうか。」

構えを取る躯の瞳が、飛影を見て細められた。

悪戯を思いついたようにも見えるが…本音はどこなのだろう。 まだ熱が渦巻く飛影の腕が、おろされた。
「何だ。」
何故今ここに貴様が…と言いかけた飛影を、躯が遮った。
「緊急だと連絡が入ったからな。」
躯は南のエリアまで、会
議で出て居るはずだった。あと10日は
戻らないと聞いていた。


「だからなんだ。」
「お前のお姫様のことでな。」

いま、飛影と探り合いの会話をする余裕はない、と思った。
時雨からの連絡が入って戻って来て始めに見た光景を、頭から ぬぐい去る。

「何のことだ。」
「蔵馬…お前を呼んでいるぞ。」

ほんの数歩分空いていた二人の距離を詰めて、躯が声を低くした。
「あいつのことは、もう知らん。」 「なら何故突然こんなに荒れている?…人の要塞の壁を壊すなよ。」
はあ、とため息をついて、躯はドン、と飛影に近づいた。
弾みで、飛影が壁に追い詰められた、こうすると、少し躯の方が高い。

「自分の知らない姿の蔵馬が、嫌か。

そうじゃない、と飛影は噛みつきそうになった。
けれど上手く言葉が出ない。

「氷泪石…。」

低く紡がれた言葉に、飛影は唇を噛んだ。
「あいつが持っていないから気に入らないか…?」
飛影から距離を取って、躯が言う。
不思議なほど穏やかな声だった。
「あいつが、一つ、お前に呟いていた言葉だ。」



『氷泪石…ごめんなさい…』

飛影の瞳が見開かれた。

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 戻った躯が始めに見たのは、薄いベージュのベッドに
横たわる、 その姿だった。

「蔵馬―――?」  
無言でベッドの横に立つ時雨を見てそうっと蔵馬の額に手を当てる。


高熱ではないが、少し熱い。それよりも…。
この髪は…」  どうした、と問いかけてみる。
何度か問いかけても、瞳は開かれない。  
「何が合ったかまでは聞いておりませぬ。」
そうか、と言い、蔵馬の額の汗を拭ってみる。
その瞬間…  「うっ…」
眩しいものを見るかのように、躯は手を翳した。


一気に流れ込んできた ものに、手の力が抜けた。
「躯様…?」

 時雨が声を掛けても、数秒、言葉が出なかった。
放心したように手をおろして蔵 馬を、見つめる躯を時雨が見た。
…そんな馬鹿な…

そう思いたかった。

流れ込んできた蔵馬の時間が、一気に頭を駆け巡る。


 似合うジャん』
 『返して!』
 『お前、化粧したら絶対似合う』
 『真珠と蔵馬って本当似合う』
 『ひ…ぃ…ひぇ…ぃ』

 一人のベッドで紡がれた声。  
 『あの女の代わりにあなた…堪らないです…』



 クラクラする頭を抱えきれず、躯はしゃがみ込んだ。
 「躯様―――?」

手を伸ばす時雨の手を振り払うしか出来なかった

「いや…大丈夫だ…。」
 蔵馬についていてやれ、と言って躯は扉を閉めて出て行った。
蔵馬の記憶に、立ちくらみがした。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥



「氷泪石…返せと言われても、あいつの所にはないぞ。」
「何だと?」 ピリ、と再び空気が張り詰めた。

気にすることもなく、躯は少し早口で言う。
躯は小さく口を開いた。



‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

「う…ん…」 時雨は、小さな声にハッとした。 読みかけの本を閉じる。

「蔵馬殿…?」
気がついたか、と、黒髪が揺れるのを見る。
「し…ぐれ…。」
ここは…と思い、自分がどうしたのかを思い出す。
肌に触れる空気は 冷たいはず…と思い、心地よいほど、暖かな空気で
あることにハッとする。
「あ…」

そうだ…ここは百足で…。 そう思った瞬間、額に何かを感じた。
時雨の手だった。
「もう熱はないようだな。」
「ありがとう――」
受け取った水を少し喉に入れると小さく蔵馬は微笑んだ。
「面倒掛けて、ごめんなさい…。」
引きつったように笑う蔵馬を見て、時雨は笑った。

「たまに動物を保護することもある。そんな程度のことだ。」
「あは…」
貶されたのか誤魔化されたのか、何となく和んできた。
「動けそうか…?」
「はい…。」 腕を取って、蔵馬を支える。
「大丈夫です。ちょっと歩くくらいなら…」
窓の方までゆっくりと歩を進めて、蔵馬は言った。

「こんなに綺麗な花、咲いているんだね…。」
百足が止まっているエリアにはちょうど黄色い花が咲いていて 、
窓からそれが見えた。

「飛影を呼んでくるが…?」
蔵馬はびくっと震えて、ゆっくりと振り向いた。

「飛影は……」 泣きそうに引き緩んだ瞳が、時雨を捉えた。 「


飛影には会いたくない…。」
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