濁った夢 14

white and deep

ぎゅっと握る手が、まだ残っている気さえした。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

祭の賑わいの中、いつの間にか握られている手が、心地よかった。

人混みから少し離れた場所で見た花火の輝きがまだ瞼に焼き付いている。


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

だけど…今は飛影を忘れたい。その温もりも、声も消してしまいたい。
部屋に満ちていく花粉の香りに、瞳を閉じる。
ゆっくりと広がっていく花の香りが、今は心地よく自分の中に
広がっていくのを感じた。
…これで…
これで飛影を消せる…。
そう思ってゆっくりと瞳を閉じる。

―――そうなっていく、筈だった。
だが数秒経って蔵馬はハッと目を開いた。


「え―――」
部屋に花粉が満ちれば、一瞬でその存在を消せるはずだった…。
その花粉で、一番大切な人を記憶から消せる花粉、そのはずだった。
術者が本当に忘れたいと思う存在を消す…花の筈だった。
なのに…。

…目をあけた瞬間、飛影の温もりを探るように手を彷徨わせている
自分が居た。




「どうし…て…」
飛影の声も、覚えて居る。

『無茶をするな。』武術会で飛影が怒鳴っていたことも、記憶に
残っている。


『もっと、会いたい…』
たまに言う自分を撫でる飛影の感触も…。



「いやっ…!」

息が、苦しい。
胸を掻きむしるようにしてシーツを掴む。
透明な雫が流れる。白い指に流れ、シミになっていく。
「飛影を…っ…」
消してよ、と叫び掛けて、咳き込んでいく。
「…けふっ…」
ドサッとベッドに身体を預け、流れる雫を止めようとすることも
出来なかった。


今このまま涙で全て流れてしまえば、消えてしまえば楽な気がした。
どうしたらいいか解らない。
「あ…」
花粉の香りを感じて、もう一度深く息を吸ってみる。

すっと力を込めて…吸い込んだことを確かめて…又数秒待ってみる。

長い睫毛を伏せてもう一度目をあけて…。


「えっ……」
どうして…。
飛影の存在が、全然遠くなっていかない。まるで今飛影を探して
いるかのように、 飛影を思い出しては胸が熱くなっていく。


「どうしてぇっ!」
パリンと、小皿の割れる音が響いた。この皿のように、全ての記憶が
壊れてしまえばいい。


「飛影を…わすれさせてよ!」
「やめろっ…!」
叫び声に被るように、何かの声が響いてきた。
「…!」
ハッとして、肩に何かが触れる感触に、振り向いた。
「…ひ…えい…」
「俺を…忘れるつもりか…っ…」
抱きすくめられる感触に、気付かなかった。一体いつの間に…。



「どうして…っ…」
「お前の気が…消えそうな…揺らいで…」
ぎゅっと力を入れ、蔵馬を後ろから抱きしめて、耳元で囁く。
「俺を…忘れるな…」
蔵馬の身体は、固まったように動けなかった。払おうとすれば
払えたかもしれない。
けれど何故か力が入らず、振り向く勇気もでなかった。



「で…も…」
「忘れようとするな…っ…」
振り向いた蔵馬の涙が、自分の核を刺すような気がした。


こんなに痛みを伴うものだとは、思った事がなかった。
堪えていたものが爆発したような、睨むような瞳が痛々しい。



その痛みは、自分が与えたものだと…済まない、と伝えたかった。
「本気で忘れたいものしか、効果がないはずだっ…」
蔵馬の唇が、きゅっと瞑られた。




「俺は…お前を離したくない…。」
吐息がかかるかと思った。飛影の息が近くて、そして飛影の指先が
震えていることに、気付いた。
こんな飛影、初めてだった。
「俺は…お前を…受け止めるから…。」
だから、忘れるな、とゆっくり囁いた。

がくんと、蔵馬の身体から完全に力が抜けた。
「っ…」
震えているのは、蔵馬だけではなかった。
飛影の腕も、少し震えて居た。指先がゆっくりと蔵馬の身体に回り、
唇を近付けた。

「俺が、お前が笑うまで…待っている…。」

「ひ…えいっ…」
飛影の黒衣に雫が滲む。


「すきで…す…」
小さく震える身体を、飛影がゆっくり抱き留めた。

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