an illusion-1:幻日(genjitsu)


小さく聞こえてきた声に、幽助はハッとした。

「「んーーーーーーーーーーー!」」 桑原と幽助の声が重なって響いた。あんなに陰気な空気に満ちていた島も、今は何故か嫌な場所 ではない。
人間って都合よくできているな、と幽助は少し思った。それだけ、今は晴れ晴れとした
気持ちだ。
終わった!
 終わった…。やっと終わった、と言うのが正直な所だ…。
同じ気持ちなのか、隣の桑原も似た表情をしている。こいつとも…なんだかいつの間にか仲良く
なっている。
少し前までただの喧嘩の相手だったのに。

「終わったね」
穏やかな声が聞こえて、振り向くと、蔵馬が立っていた。蔵馬は幽助の隣まで来て風に髪を靡かせた。
激しい闘いの痕は体中に残っているはずなのに、蔵馬は何故か爽やかな笑顔だった。
「おめえ、動いて平気なのかよっ」
息を呑んで、思わず幽助はそう言った。蔵馬はクス、と笑った。
「うん、大丈夫。俺はただの人間じゃないからね」
本当に平気そうに、ちょっと転んだだけみたいに笑うから、幽助もつられてしまった。そっか、と
言ってにか、と笑う。
「よかったね」
武術会が終わって…と、声を小さくする。ほっとしたような声。
「生きているからか?」
「うん…そうだね」そう言うと蔵馬は少しだけ遠くを見てから、
「この身体で、生きて帰れるからかな」
そう言った。


その瞬間、どきっとした。
 ずきっと胸が痛んで、射貫かれたような感覚に襲われた。一瞬蔵馬が小さく見えて、気付いたら幽助の指に
力が入っていた。その手がそれ以上動くことはなかったけれど。

「他人の体だからね」
切ないような苦しいような、それでも少し明るさも持っている、不思議な声が聞こえた。




「じゃあ、またな!また飲み会とかしようぜ!」
船を下りて、幽助が蔵馬にそう言った。
「あ、う、うん」
ぎこちない声が返ってきた。ゆっくり蔵馬が手を振る。
「じゃあ、またね幽助」
「ああ。からだ大事にしろよ!」
幽助がそう言うと、蔵馬は少し俯いて、そしてうんと言った。
その時の笑顔が、やけに幼く見えて…どきっとした。



「うわっついてねえ…」
武術会が終わって少ししてから…幽助は駅前で足を止めた。

ちょっと買い物をしてから、と思ってある駅で降りたら、ぽつ、と雨が降ってきた。
ついてないな、と鞄を頭の上に載せ、走り出そうとして、
「あ、あれ」
少し遠くに、覚えのある人を見つけて立ち止まる。
「蔵馬…?」


少し遠くの商店街の本屋から、蔵馬が出てきた。制服を着て、小さく笑いながら……
どうやら誰かと一緒のようだ。
蔵馬の後ろから誰かが出てきた。蔵馬と同じ制服を着た、穏やかな笑顔の男。
幽助は無意識に眼を細めた。じっと、動かないでそいつを眺める。幽助の肩が少し濡れていること
にも構わず。…結構穏やかで優しそうで。蔵馬よりも少し背の高い男と蔵馬は、
親しげな感じで。
じいっと見ていると小さな声が聞こえてきた。せんぱい、先輩、あはは…と言う笑い声。


武術会の最中でも何度か蔵馬の笑顔は見てきたが、そのどれとも違う笑顔…声。
ありがとうございます、と丁寧に話す蔵馬は嬉しそうで、幽助はじいっと、進むのをやめて
駅に戻った。





「おい、どうするぅ?」
小さい声が幽助を呼ぶ。耳の近くまで来て、”これかこれかこれがいいと思うんだけど”と言うのは
桑原だ。


街の商店街よりももっと奥にある、少し寂れたビデオショップ。
その店の奥にそのコーナーはある。
「そうだなあ…うーん」
桑原の方を見て幽助は首を傾げた。中学生ものと、女子大生ものと看護婦もの。ストーリーも結構好みで
気になる。どれもちょっとたれ目で甘いメイクで、そこそここ胸も大きくて…ちらっと写る小道具も、
幽助の好みにあっている。
ボブの子かセミロングか、ロングか…うーんうむむと、色々悩む二人。そして少しして…
『おいうらめしっ』 至近距離でないと聞こえない声で、桑原が幽助を呼んだ。
「なんだ?」
「これ…」
隣の棚から桑原が、一個のビデオを差し出す。女子高生、教師に攻められる物。足を広げて居るジャケット。

「蔵馬に似てねえ…?」
消えそうな声で、言う。誰も周りにいないよな、と確認して、桑原がジャケットを突き出す。
「え…」
目の前のそれを見ると確かに…。…ごくんと幽助は唾を飲む。

似ている…やっべえ、似ているわまじでっ。
ごくんごくん。
どきんどくん。
本当に、蔵馬に似ている。蔵馬よりも少し目が丸くて、マスカラか何かが主張していて、でも肌の白さは蔵馬と同じ
くらいで…。髪の長さも。蔵馬よりもストレートだけど、下の方を巻いている女優なので、なんとなく
重なって見える。
「ほんとだ…」
「な?やべえよな」
幽助と桑原のは身を縮めて、頷き合う。そして二人で、周りを見渡す。
誰も居ないよな?
ごくん、と同時にふたりの喉が鳴った。





一方蔵馬はその頃…
ベッドの上でごろんとしていた。
携帯を持って画面を眺めて。何度か打った本文を消して、もう一度打って、繰り返す。
武術会が終わってから、幽助とは会ってないや。
なんかメールでしてみようかなと思ったけどうまいきっかけが浮かばない。
ああ、あの武術会から帰ってこられてよかったと思う。
幽助に助けられなければ、今ここでこうしていることも無いし…。それに、それだけじゃない…。
左手を、ベッドに転がったままで見つめてみる。凍矢との大会のあと、”無理するな”って真剣な目で
言われて握られた手。
幽助の手は自分よりも温かくて、と言うより熱くてびっくりしたし、暫くその温度が離れなかった。
心配されたんだって思うと、傷の痛みよりも、その言葉で頭がいっぱいになって…
あのとき、甘い気持ちが広がった。




幻日 (げんじつ) とは、太陽と同じ高度の太陽から離れた位置に光が見える
現象のこと、と言う事で、心の中を違う角度で見れば…と言う、場面です。