愛染の、銀の吐息に U


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んっと声がした。


飛影の黒衣を脱がして、その銀の髪を垂らして、蔵馬は唇を寄せた。
仰向けの飛影の頬に手を寄せて、まだ未成熟な少年のような身体を、妖狐はぴったりと
くっつけていた。
「飛影…」
戻れるのかなと小さな声がする、…悲しみか戸惑いか、どちらも混ざっているのか
分からない蔵馬の切ない瞳が、いつもと違う色をしていた。深い蒼の瞳…。

唇で飛影の黒衣を取り去ると、蔵馬はその唇を重ねた。
「んっ…くら」
「もしかしたら…」
もっと俺を見たら、戻るかも。
うっとりと蔵馬は囁いて、そして飛影の唇をねっとりと舐めあげていく…ぬめっとした
その舌が、いつもの蔵馬とは違う、自ら押し進めるような、激しい濁流のような熱を
秘めていた。
蔵馬の白いからだが、はっきりと浮かび上がって見えた。何も纏わない蔵馬のからだの、
胸の突起が苦しげにふるふると揺れた。

蔵馬の尻尾が、懐くように丸い尻の後ろでハタハタと動いていた。
「さわって…」
銀の髪を、飛影の耳に沿わせながら蔵馬の甘い声がした。小さく微笑む蔵馬の唇が、
柔らかく上がった。

笑うその奥に眠る、遠い宝に手を伸ばすような狩猟の視線が合った。見てよと、
何度も蔵馬は呟いた。ふわりと触れる銀の髪が、窓の外から照らす月に反射した。
甘える声をしているくせに、蔵馬が身体を起こしてグイと足を広げた。
飛影の腹の上で、蔵馬は唾液を垂らして肌を晒した。まるで見せつけるように…
艶めいた胸を、横に揺らす。
「ひ、えい…」
声が切なげで、一瞬飛影は目眩がしそうだった…。このまま飲み込まれそうな、
不思議な声が聞こえた。
確かに蔵馬は飛影を求めているのに、それなのに蔵馬の指が飛影の胸をくすぐるように
這う度、蔵馬の熱に流されていくような錯覚が沸いた。

んっと声がして、蔵馬の股が、飛影の股に重なった…。
前のめりに倒れ込んで、蔵馬はもう一度飛影の唇に近づいた。折り重なるような身体が、
中心の熱を広げるようだった。


「そう…そうだよ…」
飛影の腹に跨がる蔵馬の髪を、飛影は右手で掴んでいた…。
頬をすり寄せて蔵馬は、猫が甘えた声を出すように、ふんっと鳴いた。
飛影の指に絡まる銀の髪…煌めきを形にしたらこうなるのだ、と言うくらいの、光が
そこにはあった。
これがあの妖狐かと飛影は息を呑んだ。…敵と見なしたものは情けを掛けずに
殺していたと言う妖狐蔵馬の話はいくつも聞いていた。
けれど目の前に居る妖狐は、丸い瞳をして、流れる銀の髪を飛影に向けて強請る声を
出している。これが…。

「くら、ま」
「呼んで、もっと」
もっと近くで聞きたい…もっと近くで、もっと何度も。
蔵馬の熱い唇が、飛影の首筋に落ちていた。びくっと、飛影の身体が跳ねた…
感じたのは、飛影に跨がっている蔵馬の股の中心が持ち始めた熱だった。
「飛影の妖…気」
きっと、受け入れられる。だから。だからもっと呼んでもっと触れて。
「入れて、飛影のが…欲しい…」
チロリと、蔵馬の赤い舌が蛇のように突き出された。

絡まらせると、ぎゅっと、蔵馬の腕がしがみついた。



「どんな姿でも俺だから…」
あなたの妖気なら…きっときっと大丈夫。
だから、ねえと蔵馬は涙を流した。銀の髪に透明の雫が重なっていく…。
不思議なほど、拒めなかった。
「俺の、妖気」
「そうだよ…元に戻れるかもしれない…それに」
この、姿は嫌なのと、蔵馬は言いかけた。この姿は…そこまで言って、小さく俯く
蔵馬の、長い睫毛が悔しげに伏せられていく…。
「蔵馬」
冷たい声がした。何の感情を秘めているのか分からない、飛影の短い言葉が、蔵馬を
射貫いた。
「どんなお前も…お前だ」
来いよと…熱い声がした。
ぐいと、蔵馬の身体を、抱きしめたのは飛影のほうだった。



「んっ……」
あ、あんと蔵馬の艶を帯びた声がした。
ぐらぐらと、蔵馬の尻尾が横に揺れていた。鏡の前で…蔵馬はその白い身体を
曝け出していた。大きく開かれた足が、曇りのない鏡に映っていた…飛影は、
後ろから蔵馬の足を広げ笑っていた。蔵馬の足を広げ中心に触れると、
周りの毛がざわざわと波を打っていた…。んうう、と声がして、蔵馬の膝が、
閉じようとするのか開こうとするのかわからない、もどかしく戦慄いていた…。
「ひ、えいっ……はっ…あ」
中心をまさぐる飛影の指先に籠もる熱が、蔵馬のその胸の奥までをかき回すようで。
蔵馬の息が上がっていく…そのまま、視線を前に向けると、何も纏わない自分の身体と、
中心から濡れ落ちる露が見えた。白い床にポタリと落ちた露は、自分が落とした…
零したもの。あ、あんと上がる声に、蔵馬の胸を突く、逃げたい衝動が、逆流の
ように湧き上がっていた…、見たくない。なのに飛影に触れられると股の奥から、
甘さが首筋を越えて全てを支配していくようで。
突かれたい、もっと飛影の指を…その力を感じたい。毛を分けて、飛影の指先の硬さが
蔵馬の中心を突いていく…。
じわりと迫り上げるこの痛みのような、酔いしれる感覚が…分からない、飛影のせい
なのか。自分のせいなのか。
「お前が、言ったんだろ」
目を逸らす蔵馬の頤を取った飛影の、冷たい声がした。ぐいと、一気に足を開いた
飛影の、息が耳にかかった。
「あ、あっ…んん!」
トロトロとあふれ出していく露を、飛影の指がぎゅっと、掬っていた。鏡の前で、
その手のひらを飛影は翳した。
「俺を、感じた証しだ」
「やっ…そん…なこっ…」
イヤイヤと、蔵馬は首を振った。嫌だと言えば言うほど、それでも触れそうなほど近い
飛影の吐息だけで、蔵馬の中心がもう一度露を吐き出しそうだった。
ビクビクと、奥からうねるような衝動が突き上げる。飛影がふいに息を吹きかける
だけで…。ん、あっと、声がした…蔵馬の足が、自ら開いていた。
「あ、あ…飛影っ…」
触れて、触れて。
思いながらも、欲しいと確かに足の中心とつま先が訴えるのに、それを言葉に出来ない。
触れてと、蔵馬の唇が、音にならない言葉を漏らしていた。ほ、…しい。触れて…
感じたい…けれど。
ただ、それを言葉に出来ない。
「ふっ……あ…」
熱に侵されたような、籠もった蔵馬の声だった。膝が、開いたり閉じたりを繰り返して
いた。目を逸らしても、確かにそこには後ろから指を突っ込まれている自分がいる
だけなのだ…分かっていても、本能のような、疼きに支配されているようでも、
言葉にならない。
「はっ……」
ぐいと、何かを感じ、蔵馬は腰を上げた。突っ込まれた飛影の両手が、火のような熱を
帯びていた。

ぐちゅ、と言う音が部屋に響いた。ぐり、と奥を突き熱い一点を、何度も通っては
離れていく…そこを、そこに触れたらもう一度あの甘い感覚で、露を解放できるのに。
「ひ、えい…んっ…あ…そ…こっ…」
擦り合わせるように、膝を閉じて、飛影の腕を中心に、そしてそこに向かうように
導いたのは蔵馬だった、銀の耳がピンと立っていく…。
「あっ…んっ…」
じくじくと流れ出す蜜と、締め付けて熱さを帯びる、襞の強まり。
「あ!!はっ……」
ズイ、と強く触れれば、蔵馬は唾液を垂らし上を向いた。

待っていた…飛影の、熱さを、指の中に秘める、濁流のような熱。これに飲まれそうな、
この瞬間を。
待っていた…飛影の、熱さを、指の中に秘める、濁流のような熱。これに飲まれそうな、 この瞬間を。 少しずつ沸いてくる、気持ち…消えていく…蔵馬の中に眠る、押し殺していた言葉。 漏れかけた言葉が、蔵馬の股に伝わっていく…じわじわと飛影を求めて濡れていく。
「あ…はっ…もっと…もっ…」
冷たい手が、飛影の両手に重なった。鏡の前で、蔵馬は全開にして飛影の両手を…
逃げられないよう、包み込んだ。
中心へ…そして毛をかき分けて蔵馬のものを梳くように。ぐいと、二人の手が
重なった…。
「くら、ま!」
強く、蔵馬のそれを突き梳きあげると、銀の髪が、狂ったように乱れ舞った。
「ふっ…あ!!あんっ…」
蔵馬のそれが、大きく膨らんでいく…、飛影のその指が力を込める度、蔵馬の
足先が震えていた。
小指まで震えた蔵馬の足が、その膝が濡れていく…。
「飛影っ…!!」
「欲しい、か」
違う。妖気が…戻るために、言いかけて、言葉が喉に持っていく…。
何が、欲しいのか。迷う蔵馬を嗤う飛影が、蔵馬のそれを深く突いた。
押し込んでは引いていく飛影の、それを蔵馬はぐいと締め付ける…。
突けば突くほど…蔵馬のそれがうねりブルブルと鼓動のように波打った。
重なった二人の手は、もう熱い一つの塊のようだった。
蔵馬の頷きが、静かに繰り返された。
「もっと…激し…くっ」
ぐいと奥を突くと離すまいと包み込んでくる蔵馬の襞と、ガクンガクンと揺れて
高まりを示す腰。
「いいっ…いいよっ」
あ、ふ、と蔵馬が息を漏らす度唾液が、飛び散っていた。


しなった蔵馬の胸の突起が、艶を帯びてふるふると揺れた。
「ああ!!」
蔵馬の目が、見開かれた。
後ろから抱き込んでいく飛影の瞳が…熱かった。燃えるような熱情を込めて、自分を
包み込んだ飛影の瞳、ああ、と思う。この瞳がずっと…どんな時も自分を見つめて
いるのだと、それが蔵馬の胸を締め付けた。呼吸の奥が苦しさを訴え、蔵馬は荒い
息だけを吐いた。
「きれいだぞ」
見透かしたような声が…した。
「お前の髪…綺麗だ」
言った言葉と裏腹に、妙に生温いものが、何かに触れた。

ぬめりを帯びた指で、飛影は蔵馬の銀の髪を梳いたのだ。
「んううっ…」
滑らせて、飛影の指が、蔵馬の銀髪を濡らし染みこませるように梳いていく…。
「銀のお前も、俺のものだ」
印を、残したい…。銀の髪を濡らした指が、蔵馬の胸の突起に降りた。
「んんっ…」
ツンとそれを突き弾かせれば、蔵馬は?を赤く染める…、なのに、長い睫毛は確かに
喜びを伝えていた。
上下する睫毛まで、濡れて見えた。
「あっ…!!!」
高い声が、次の瞬間響いた…。
ぐいと蔵馬の身体が何かに押された、そんな瞬間だった。
「んっ…」
反転…。

蔵馬の身体が、四つん這いにされていた。銀の尻尾を振り上げて、蔵馬の腰が高く
上げられていた。
獣の体勢、その腰を掴んだのが飛影の腕だった。
「あ、んっ!」
「素直にしてやる」
見えるから、嘘を吐く…暴いてやる、と飛影が蔵馬の耳元で、腰を押さえて囁いた。
一瞬、背を通った汗…。
「銀のお前も、全て素直にしてやる」
ガッともう一度腰を押さえた飛影の、身体が熱い。そして、重なった飛影の胸が、
焼けるような熱で、蔵馬の背に
触れた。熱い汗が、蔵馬の背中を流れた。
「喜んでいるじゃないか」
耳を見て、飛影は一瞬嘲るように笑った…。かあっと、蔵馬の頬に朱が散った、
それでも身体は嘘はつけない…。
飛影を感じたのか、蔵馬の足が、高く上がった腰に合わせるように大きく開いていた。

尻を突き出すような蔵馬の誘惑を、飛影は満足げに見つめた。
蔵馬のはあはあと言う吐息が聞こえる度、飛影の興奮が高まっていく…。
いつもは見える黒髪が、今は星屑のような銀色なのだ。これも蔵馬だ。

羞恥に染まる頬も、今は欲を曝け出す獣が浮かび上がっていた…。

どくんと飛影の胸が音を立てた。
魔界の蔵馬を、普段眠る蔵馬を、奥底まで引きずり出して、そして全てを手に入れる
権利が自分にはきっとある。


ドクンドクンと、その妖狐の尻の奥へ迎えるように、蔵馬の背中まで、ぬめりを
帯びた。
「つい、ってっ…」
割り込んでくる飛影のそれを、待っている。
もう、もう…蔵馬の中心の周りの肉が、びくびくと収縮を繰り返していた。滑りが
滴り、ふるふると
ものくるしげに震えている…。
尻の割れ目から流れ落ちそうな露が、堪えられていた。
じくじくと、シーツに落ちていきそうなそれを、蔵馬の正体不明な理性がせき
止めていた。
「あ、あつい、よっ…」
ああもうと思うだけの…こんな恋しさは初めてだ。
まるで目の前にも飛影のそれが見えるような…。感じたくて。何を…待っていた、
想いが繋がる飛影の
身体を。言葉の代わりに伝わる、何かを。


「あっ…も……ツイ…突いてっ…」
銀の尻尾が、切なく切なく揺れた。フッと、笑う声が、どこか遠く聞こえた…
飛影の声。
「あ、あ!んっ!飛影!!」
グイと、大きな衝動が蔵馬を包んだ。
「…い、いいっ!…飛影っ…!もっと…もっ…」
顔を床に擦りつけながら、蔵馬は笑っていた。涙が温かかった。腕に力を込め
れば、その瞬間に飛影のそれはのめり込んできた。
「あ、あ…壊して…いいっよ」
もっと強く。
蔵馬の息が上がり続けていた。
「飛影を、注いでっ…」
「蔵馬っ…!」
どくんと、鼓動が跳ねた。解き放たれた飛影の、熱が蔵馬を貫いた。



「あっ…は……」
はっと、蔵馬の身体が倒れ込み、荒い息が繰り返された。
ガクンと前のめりになった蔵馬の、唇が、愛しげに飛影を見た。
「ふっ……ひ…えい」
すき…。
ちいさな、響きだった。
「あなたが…もっと…欲しい…」
まだ大きく膨らみを取り戻した飛影を、蔵馬は微笑んで見つめた。狐の姿勢で
這って、それに向かってそっと寄って行く…。
「欲しい…よ」
生暖かい、赤い舌が飛影を見上げた。ドクンと脈打つ飛影のそれを包み込んだ
のは、蔵馬の唇だった。
身体を包む疼きのままに…推されるように…蔵馬はそっと先端を舐めていた。
「んうっ……」
ちゅぱ、と言う音がした…。苦しげに伏せられた瞳の奥には、確かな情熱…。
「うう…」
あ、っと言う声が、何度も零れた。含みきれないそれが、再び熱を持ち始める。
蔵馬がそれを加える途端に、膨張していく…。
「飛影…っ」
苦しくても、それでも飛影を感じたい…。飛影の全てを確かに感じたくて。
ふるふると、揺れ始めた飛影の腰が、前のめりになっていた。
「感じ、たいか」
ぐふっと、苦しげに飛影を見上げる蔵馬の瞳…否定を示す仕草は、無かった。
「俺の…妖気の残りを…お前に注いでやる」
「あっ…んんぐ!!!」
自分から近づいた、それでもそれは余りにも熱く、そして蔵馬の口を蹂躙するに
近いほど膨張が続く。
先端に舌が触れれば、飛影のそれはフルフルと、蔵馬の喉を突いた。再び
もたげ始めたそれが雄々しく蔵馬の口を支配する。
ヌプヌプと音を立てて、口の中へと、飛影はそれを押し込んでいた…。
知らず、蔵馬の瞳から透明の雫が落ちた。頬が、青ざめていた、それでも首筋に
残る、柔らかな薄桃の、ときめきのような熱。
「蔵馬っ…!!!」
「んんっ!ぐ!!」
広がった、闇の世界…蔵馬の世界が、暗くなった…、飛影が、蔵馬の顔を
引いたのだ。ぐいと引かれたその顔は熱に浮かされた少女のようだった。
次の瞬間…。
「ふ!!!ん!!」
本当に、目の前が白くなった…。ぐいと抜かれたそれが、爆発するように
全てを解き放っていた。飛影の愛液が吹き出し、ドロドロと蔵馬の顔を
濡らしていた。
「あっ……」
粘つく飛影の愛液が、蔵馬の瞳以外を、塗り込まれたように染めていた。
「来い」







ざあっと、音がした。
滴るのはシャワーの緩い音だった。
「飛影っ……」
銀の尻尾を、飛影はゆっくりと撫でていた。
洗ってやると、運ばれたのは浴槽だった。滑る蔵馬の身体を、飛影はそっと
隅まで撫でていた。
「ふっ…」
飛影の冷たい手が、蔵馬の顔をなぞっていく…、綺麗にしてやると、飛影は
蔵馬のその顔を、僅かな隙間も漏らさぬよう全てをシャワーで流していた。
滑りが消えた蔵馬の頬が、艶めきを放つ。
「こっちもだ」
蔵馬の足を、浴槽で開くと、緩く…繊細なほど細かい手つきで、膝を撫でて
いたのだ。信じられないほど
優しい手に、蔵馬は身をよじった。
「こっちを向け」
塗れた銀の髪が、肩に張り付いていた…その髪を手に取ると、飛影は唇を寄せた。
「綺麗だな…」
小さく聞こえた言葉。
誰にも、見せたくない。蔵馬の肌をゆっくりとなぞり、飛影は肩に吐息を吹いた。
んっと、蔵馬は
くすぐったさに飛影に身体を預けた…。
「お前も…蔵馬だ」
このお前も…俺の光だと、飛影は囁いた。
「…戻る」





・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥



緩く緩く、少しずつ蔵馬の頬を、光が刺していた。
「んっ……」
けだるく、そしてふわふわとした意識を取り戻す事も出来なくて…。
そろそろと白い手を伸ばし、蔵馬は触れたものを引っ張っていた。…シーツの温もり、
それから…。

「おい、起きろ」
不意に、上から落ちてきた声。
「なにっ…」
覚えのある、優しい手つき、蔵馬の肩を撫でる、硬い指。飛影…。
「いつまで寝てる」
呆れたような声は、遊びのような低い声が、まだ機能していない耳に心地よく響いた。
カーテンの間から橙の光が差し込んでいく…。
「蔵馬、聞こえないのか」
ほら、と耳元に声がした。
「んっ…」
そっと手を伸ばせば、それを握る指が、しっかりとそこにはあった。
「飛影…」
ゆっくりと身体を回すと、覗き込むような飛影の身体を探すように、手を彷徨わせる…。
「どうした」
「動けない…起こして…」
言いながら嗤う蔵馬の、頭を小突いてやろうか、一瞬本気でそう思った。けれど何故か
前のめりに、飛影は手を伸ばしていた。
甘くなったものだと思いながら、そんな自分が嫌ではない、この感覚を、何というのか。
言葉が出てこない甘い満足。


ゆっくり起こす身体に、力が入らなかった。
トロトロと微睡むような感覚に支配されながら、耳にかかった髪をどかそうと…次の瞬間。
「あ…れ」
間の抜けた声が、暁のはじめの静かな部屋に、それだけが聞こえた。
「あ…れ」
触れたのは、黒髪…耳よりも長い、冷たい黒髪。
「蔵馬…」
はっとした声は飛影からもだった。身体を抱きしめてみると、昨日とは明らかに
触れる腕の感覚が、
違っている…これは。
「ふっ…」
ぎゅっと、指先に込めた力を、強く強く増していく…。部屋の端に小さく咲いた
かすみ草が、ぐらぐらと揺れて先の形を変えていく…鋭い、槍のような、白い光を
帯びたものに。
「もどっ…た」
これこそ、覚えのある花の反応。
見上げた飛影の視線と絡まるこの距離も、覚えがある…そっと飛影に寄り添えば、
肩に抱かれるこの収まり具合も、知らなかった昨日ではなく、知っているいつもの
感覚だった。
「蔵馬っ…」
肩を預けると飛影の緩い声が聞こえる…。ああ、と思った。好きだと思う、この、
肩の暖かさを感じる角度も、飛影の吐息も。慣れない距離で聞くより、感じるより
やっぱりここがいいと今更思う。そして蘇る、
夕べの…熱い交わり。


「随分早く戻れたじゃないか」
驚きの声は、くっと、嗤う声に変わった。一瞬で色を変えた空気に、蔵馬は抱きしめ
られたまま飛影を振り返った。
「えっ…」
まるで…まるで計画的だったかのような、その言い方。
「俺も随分甘くなったものだな…」
こつんと、冷たい指が触れた。
蔵馬の額を小突いた飛影の人差し指。
「こんなことまで、付き合ってやったんだからな…俺もいい加減人間くさくなったようだな」
ははっと、乾いた笑いを浮かべて、ピンと、もう一度指が蔵馬の額に触れていた。
「付き合って…?」
くるくると、大きく見開かれた蔵馬の瞳。
「そうだろ…戻れないなんて、嘘だろうが」
とんと、今度触れたのは蔵馬の胸だった。人差し指で、飛影は蔵馬の胸をトントンと
叩いていた。
「ここに聞いてみろ。妖気が必要なんて、嘘だろ」
トントンと叩けば、蔵馬の鼓動が跳ねた音が聞こえていた…。
「何言ってる…の?」
きょとんとした瞳が、昨日とは違う意味で吸い込まれそうに光っていた。
「嘘だろ…こんな結界まで張りやがって」
溜息と同時に、震えたのは蔵馬の身体ではなかった…窓が、ミシミシと揺れ始めた。
壊れそうな音を立てて飛影の妖気が、穏やかな夜明けの部屋に満ちていく。
魔界の強い者だけが帯びる妖気が広がる…その中で、それでも蔵馬の窓は割れないのだ。
「俺と、俺の妖気を出さないようにしたのはお前だろ」
仕方のない奴、と飛影は溜息を吐いた。
「そんな、こと、してな…「してないはず、ないだろ」」
ブワっと、高まったのは飛影の肩の周りの、その妖気だった。飛影の肩よりも一回り大きく…蠢くような、
ゾワゾワとした、空気を引き裂きそうな妖気。
「これが飛び回っても、ここからは出られない」
二重に結界を張ったのは誰だと、蔵馬の胸を両手で叩いていた。
「わざわざあんな姿になってまで俺を引き留めて…」
ビクンと、蔵馬の肩が跳ねた。
ビクンと震えたのはそれだけでは、なかった。蔵馬の黒髪がガクガクと揺れていた。
肩の上でしなるように流れるように。
「あの姿になったのも…偶然じゃないだろ」
意識を取り戻した飛影を見た蔵馬の視線が…チェストの引き出しに向いた瞬間を、
見ていた。
気付かないはずがない、一瞬の蔵馬の視線。
「俺の目が覚めたとき、見ていたじゃないか」
くくっと、思わず飛影は高笑いをした。
下らないところで意地を張って、そして浅い工作をする。あそこに何が入っている、と
飛影が嗤った。
わざわざ開けて確かめるほど…意地悪をするわけではないけれど。

だから、味わってみるのもそれも一興…そう思った。
自分の前で妖狐になった蔵馬を見たことはなく…そこまでして飛影に向かう執着が、
妖狐になったとき何が
変わるのか。
案外素直で…それも蔵馬に秘められた熱情だと…それを見ることが出来て、
あんな百足での試合で傷ついた甲斐もあると言うものだ。



だっ…て、と小さな声が、床に消えた。
「いいじゃない!!」
睨む瞳と叫ぶ声が、同時だった。
バシンと、飛影の手をはねのけたのは蔵馬だった。
「いつ…遠くへ行ってしまうか分からない人を、ずっと待っていたって…」
一年が過ぎていく。
魔界の時間軸とは違うことは分かっているけれど、このまま人間の時間でこの月が
終わり、そして新しい年が始まる。
飛影に時間が過ぎる感覚は同じではないことは知っていても…それでも、それでも人々が
はしゃいで手を繋いで街を歩く姿に、僅かに自分達を重ねても、それは攻められる事
ではない筈で。
「クリスマスって…人間の中では…大切な人と過ごす、そう言う日なんだよ」
睨む蔵馬の後ろで、まるで主人を待つ獣の尻尾が見えるような、そんなイメージが、
飛影を包んでいた…。
強がりながら、待っていたことを画すことができない、狐。
「大切な人、か」

そっと、重なったものは飛影の唇だった。
蔵馬の指先に触れた、暖かい唇…。


「ちゃんと、覚えておく」
だから呼びに来いと…もう一度、口づけが、重なった。


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