初めて会ったその日から

モクジ

初めて会った時から、他の誰かとは違っていた。
柔らかな声、どこか、人の心を見透かす言い方…。

「大した回復力だよ、驚いたよ」
言った相手の顔が、離れなかった。

いつからか心をざわつかせる相手…ふと、飛影はその人のことを思い出していた。

蔵馬。
何故か心を惑わせる…。血を流すたび、傷つくたび、叫びそうになる自分がいた。

形にならない、ただ心を占めるこの感情が、何なのか…。



「飛影、帰ったの」
暗黒武術会…その闘いの中で、同じ部屋の
少し高い声で、飛影を迎えたのは蔵馬だった。
自分だって傷を負っているくせに、その瞳には、飛影の傷を
見透かしたような色があった。…気に入らない。
自分のことは置いといて、他人の事には口を挟む…自分だって…お前が…言いそうに
なって、飛影は止めた。
「当たり前だ、俺は負ける気はない、お前らこそ、足を引っ張っ…」
「俺は」
遮ったのは、蔵馬の強い声だった、けれど最後は弱々しくて。
「俺は、あなたと、生きて帰りたい」
僅かに見えた、縋るような視線を、飛影は振り切るしかなかった。
「甘ったれるな」
言うしかなかった。
わかっている、生きて帰りたいくらい…、真っ直ぐな瞳に、どう返すのが一番いいのか
わからなかった。

わからなかった。
蔵馬への…気持ち…。

武術会は終わり、二人は、別の道を歩んだ。
会うこともなく…。



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そんな、乾いた風の中を歩むような日々が続いた中…。




「蔵馬が、いなくなった?」
大きな声を出したのは幽助だった。

困った表情をしたのはコエンマで…端正な顔を歪ませ…。
「お前たちに来てもらったのは他でもない…」
「探せってことか」
幽助が先を読んだ。
蔵馬がいなくなったことで、今自分で出来ることはどれだけあるのかわからない。
けれど、蔵馬の無事は確かめなくてはいけない…蔵馬を…気にかけているのは皆同じなのだ。
例え恋でなくても…蔵馬が大切だ。


「でも、アイツがこんなに心配かけるのあり得ないだろ」
言うしか、なかった。

「そこなんじゃが…」
コエンマは、もう一度眉を歪めた。
「今の蔵馬は、全く妖力がないんじゃ…」
おい、そりゃ一体…とコエンマに突撃した幽助を、コエンマの扇子が遮った。
「落ち着けっ」
言うコエンマの前で、飛影は不機嫌を露にした。余り歪まない飛影の瞳が
細められた。
「このことを他に知ってるヤツは?」
蔵馬のことは…情報を整理しなくてはいけない…動揺するより今は。
「癌蛇羅に出入りしている様だったからおそらく黄泉は知っているじゃろ…」
苦しげにコエンマは言った。
気まずい…。
「あっ、おい、飛影!」
ぷいと背を向けた飛影に、幽助が慌てた声を出した。
「じゃあなコエンマ」
言うしか出来なかった。
はあ、とため息をついたのはコエンマだった。
だから正直に言いたくなかった。




黄泉の触覚がフルフルと搖れた。
歓迎というか、口元は僅かに笑っていた。この事態をどう捉えているのか。
この蔵馬の古い知り合いに、飛影の警戒がピリピリと唸った。
「話が早いな…」
蔵馬はどこだ、早口で、飛影は問いかけた。
「分からんのだ…」
笑っていた口元を真っ直ぐにして、黄泉はため息混じりに言った。

「もちろん、そんな場所は知っている限り全て調べた。お前の邪眼でも
破れないような結界を蔵馬が張っていた…」

最後に黄泉はゆっくり言った。

「恐らく、俺が盗賊を抜けたあとに張った場所にいるのだろう」
ダァーっと、頭を抱える幽助の声が響いた。


ふいと、動いた影に幽助はハッとした。
「飛影!手がかりもねぇのに行く気かよ!」
こいつにはモノを整理すると言う考えはないのかよ…と、幽助でさえ思う…
その瞬間、冷ややかな声が投げられた。
「俺は…」
飛影の、冷たい苛立ちの声だった。

「さっさと馬鹿なキツネの死体を回収して、こんな面倒なことをおらせてやる」
「はぁ?」
ちょっと待てよ…飛影の苛立ちに気圧さかけた幽助が、目を剥いた。
「縁起でもねぇこと言ってんじゃねえよ」
待てって、…幽助の声と、黄泉のため息が同時に吐かれた瞬間。

「グア!」
ガツンと、空間にヒビが入ったような声がした。
「クッ…」
唸っていたのは、飛影だった。
乱れた、首もとの白布を抑えて飛影は上を睨んだ。
「お前…」
一番大きなため息は、黄泉だった。
現れた美しい女城主に脱力しか出来なかった。
「ははっ」
やけに明るい声の…躯だった。
「うちの城を破壊してくれるなよ」
言うだけ無駄かもしれないが…。
「悪い悪い!可愛い部下の頭冷やしてやりたくてな!」
笑う割には、後ろに纏う妖気は、激しくも冷たく…見えない吹雪のようだ。
「俺も、ただ来たわけじゃないぜ!貴重な情報を持って来たんだ」
秘宝を隠し持っているような微笑みで躯は言った。
「狐の情報だ!」
大丈夫かよ…と飛影を気にかけた幽助たちの、目が見開かれた。

「俺が最近見つけたんだが…中々近づけない場所でな。まあ、綺麗に花が咲く
場所だから放っておいたんだが…」
「行ってみる価値はあるってか…」
真剣な声は、幽助だった。

「…その場所は?」
小さな声がした。
…飛影だった。

「一人で行く気だな、コンニャロ!」
走り出した飛影の、背に不満そうな声が投げられた。

「…飛影!」
憎々しげに、幽助は少し笑った。
続いた言葉。



…いいか飛影。蔵馬が心配なのはお前だけじゃねえ、
今の、アイツはただの人間だ。ぜってえ守り通せ

幽助の声が、リフレインした。
リフレインは少しずつ大きくなって…わかっている。ただの人間。
妖力がない者は、何が起きてもおかしくはない。

…バカが。

妖力もないくせに…閉じ込もるなんて…魔界で無茶しやがって…

飛影は目を細めた。
こんな、今になって…。
下らないと思っても、蘇るのは蔵馬の声と、笑顔だった。
いつもそばにある声が、何度もリフレインする。

悔しいさと苛立ちの中で思うことは…

無事で…無事でいろ。

それだけ。



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「ふう…」
蔵馬はため息をついた。
妖力が使えなければ、ただの草だ。なんの変化もない草は、ただの物体で
しかない。
どうしたら…。

あの方法しかないの…。
ぐっと身体に力を入れた瞬間、
「あっ…」
背がしなった。
「っ…」
寝台に倒れ込んで、蔵馬は天井を見た。身体の奥から力が抜ける…指先に力が
入らない。

自分で作った薬草でこんな目に合っていたら世話ないな…
情けないのか笑えてくるのか…。
遠くに見えた満月に、浮かべるのはたった一人だけ。
満月を追うように、煌めく星が見えた。この星が、自分に重なった、
飛影を追う自分。
届くだろうか…。

「飛影…」
たった一人の、ひと。
からかうような冷たい声でさえ懐かしく、愛しかった。
「会いたいな…」
言えば益々好きになる。
こんなとき、あの声が聞こえてきそうで。


馬鹿みたいな話に…人間らしく、羞恥が蔵馬の顔を染めていく。
「でも…」
今はまだ会えないよ。小さく蔵馬は続けた。
「ほう、それは何故だ」
そんな、蔵馬の声に、鋭い月のような、それが降っていた。
当たり前だ、こんな…言いかけて、蔵馬は冷や汗に目を見開いた。
「その声は!なんで…ここが」
どうしよう。
助けてほしいけど逃げたい。知られたいけど知られたくない。
黒衣を翻して、部屋の隅に、その人は立っていた。

「余計なお世話だったか」
蔵馬を見下ろして飛影は低く笑った。
「え?」
「死にたかったんだろ、妖力なしで魔界に来るくらいだ」
それは…。
うまく言えず蔵馬は言葉をなくした。
どう言えばいい。
「俺が殺してやろうか」
笑いながら、飛影は言った。
「お前を見ていると苛つく…。いっそ俺の手で殺してやるよ」
見下ろしてくる飛影の目は…ああ、妖怪の目だと、蔵馬は動けなかった。
飛影から伝わる、本当の心が、透けて見えた。
「妖力がないそんな華奢な身体…簡単に殺せるぜ」
言いながら近づく飛影の手が…冷たく見えた。なのに指には、ありえないほど
汗があった。
ぐいっと、飛影は手を伸ばした…。
この手を伸ばして力を入れたら、この弱気なやつを消せたのだ。なのに。
…伸ばした手は蔵馬を抱き留めていた。


「口は立つくせに、肝心なことはなにも言わない…」
そう言う、真実を隠すところが気に入らない。
そのくせ求めている。そのくせ縋っている。
「お前なんか…気にしなければいいのに…」
吐き出すように、飛影は言った。
言えば止められなくなる。
苛つく存在に、心が囚われているこの真実。

「飛影…」
小さく、蔵馬は言った。


「抱いて…くれませんか」


一瞬、飛影の手が止まった。
「なっ…」
何を言っているのか。
「お前…大丈夫か」
今の身体で、そんなこと。

「そんな身体で妖怪の俺に抱けなんて…」
「だからっ…」
悔しそうに蔵馬は言った。

「それが、妖力を戻す方法なんです」
目をそらして、さすがに蔵馬は気まずく言った。

強い妖力が必要で…。
あなたにしか頼めなくて…。
小さく、蔵馬は言った。
だけど、誰でもいいわけじゃなくて。

縋るように、蔵馬は今度は飛影を、射抜いた。
「お願い…抱いて…ください…」
そっと、飛影は蔵馬の顎をとった。

「俺で…いいんだな」

あなたじゃなきゃ…嫌です…。

飛影の身体は、暖かかった。蔵馬を抱きしめながら、強く、飛影は蔵馬に
問いかけた。

「何故誰にも言わず魔界に来た」
言いながら、身体を近づけて、蔵馬の柔らかな身体を熱く感じながら
飛影は訊いた。
蔵馬の額に触れて近くで見ると、蔵馬は幼く見えた。
僅かに火照った蔵馬の頬が、甘かった。
「だっ…て…」
飛影が身体をすり寄せると、蔵馬は少し笑った。
「幽助や、コエンマ様に…こんな方法話すわけにいかないでしょう…」
ちょっとだけ、蔵馬は眉を寄せた。
「俺にも黙っていたのは?」
訊きたかった。予想していても、それでも蔵馬から訊きたかった。
蔵馬を追い詰めたかった。
「随分拘るんですね」
キョトンとして見つめ返す蔵馬のなにも気づいていない風さえあざとく見えた。
本当のことを、言わせたい。
「…みっともない所、見せたくなかったんです」
観念したように、拗ねたように蔵馬は言った。

「仲間としての義理でなんか…抱いて欲しくなかった…」
言ったのに、蔵馬は恥ずかしげだった。
けれど…蔵馬の白い手は飛影の首に回っていた。
甘い吐息が、飛影の耳元にかかった。
「でも俺…めちゃくちゃ愛されてますよね'」
幸せそうに…余りにも蔵馬が素直に笑うから。
「チッ…」
言ってろ、と飛影は吐き捨てた。
可愛かった。
強がりで素直で、こう言う蔵馬も、嫌いじゃない。
どんな蔵馬だって、嫌いにはなれない。
今は素直に…。

ギシギシと、飛影の身体が揺れるたび、寝台が音を立てた。
はあはあと蔵馬の息が上がる。
「蔵馬…」
大丈夫かと、自分も荒い息を吐きながら飛影は訊いた。空ろな目で蔵馬は
うっとりと飛影を見上げた。
ガクガクするほど飛影を感じながら、飛影を感じたかった。あの強気な飛影が、
今こんなに優しく手を伸ばしてくれている。
重なる手が熱く、力を抜いているのがわかる。
決して蔵馬を傷つけないように。
「足りない…もっと…ください…」
潤んだ瞳が、飛影を射抜いた。
静寂の中で、蔵馬の息だけが飛影に聞こえた。
窓からは満月と、星が近づいていたのか見えた。
「上等だな…」
言いながら、余裕がなくなっていくのが分かる。長いまつ毛を濡らしながら
飛影を映す瞳…。濡れながらきらめきを纏う身体…こんな蔵馬を、他の誰かが
助けるなんて…。
嫌だ、自分以外の誰かが蔵馬に触れるなんて許せない。蔵馬が身体を許すのも、
心から身体を開くのも、他の誰かなんて許せない。
ひとりじめしたい…譲りたくない、その気持ちを、今初めて知った。
自覚する独占欲のままに、飛影は蔵馬の胸の突起を吸った。あ、と声がした。
「あ、やっ…ちょっと…」
はっとして蔵馬の高い声が響いた。

ぐいと、開かれた脚。冷たい空気が、蔵馬の脚に触れていく…。
飛影の燃えるような瞳が、蔵馬の顔を、脚の間から突き刺していた。
逃げられない。
中心まで、身体の奥まで飛影に見られている…。
覚悟していても、実際に見られている、その事実は、蔵馬を翻弄した。
頭で分かることも、身体に刻み込まれると、中心から不思議な熱が沸いた。
「はっ…あっ…」
熱く、飛影は蔵馬の体を後ろから抱いた。
鍛え抜かれた指先は、ザラザラの強いしなやかさを伴って蔵馬の脚の間まで
入り込んだ。
奥まで指先で突けば、蔵馬の蜜が溢れ出した。滑る蔵馬の身体が揺れる。
「飛影っ…」
飛影の、妖気が…溢れてくる。
沢山…飛影の妖気が。
蔵馬は甘い涙を流した。


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ふっと、髪を撫でる手に、蔵馬は目を開けた。
「起きたか」
飛影が、笑っていた。
「すっかり妖気は戻ったらしいな」
コエンマたちにどう説明するんだ、と飛影は意地悪げに尋ねた。
「もう…なんて説明しよう」
蔵馬も、困り顔だった。
「なんだ、口の立つお前でも言い訳が思いつかないのか」
飛影が、笑ってまた蔵馬のかみをなでていた。
「他人事みたいに!」
反抗しても、実際今はなにも誤魔化しが思い浮かばない。
「本当意地悪ですよね…」
「ふん、今更だな」
言いながらそっと抱き寄せる腕は優しくて。

「でも、大好きです…」
そんなことを蔵馬が言うものだから。
「もっと妖気いるか?」
思わず言ってしまう飛影だった。



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その後…。

「あ、蔵馬!」
修羅の声だった。

「パパー、何で蔵馬元に戻れたの?」
「仕方がないなー俺が教えてやる!」
幽助の言葉に、躯は笑いをこらえていた。

そして、美しい女城主は余計なことまで言ってしまうのであった。
「狐がいない間のコイツの様子、見せてやりたかったぜ!」


それから。
ふたりはいつもの生活に戻り…。

けれど…。

「あ!」
カツンと音がした。窓から気配。

「飛影!」
桃色に頬を染めて、蔵馬は飛影を迎えるのだった。



***
2020年11月に出た とろみちゃんの同人誌「初めて会ったその日から」を
小説にさせていただきました。
掲載の許可が下りたので、こちらにアップします。
一部加筆しています。

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