飛恋〜花紡ぐ夜〜



「まだそこにいるのか」
「ん…もうちょっと」
後ろから掛けられた声に、蔵馬は小さく笑って振り向いた。
半月が、ちょうど空に出ていた。暑さも引いた季節、この風が
気持ちいい。
ネグリジェのような衣を風に揺れるまま任せて、蔵馬はもう一度
バルコニーから空を見上げた。
「たまにはいいでしょ」
病弱ではないが、相手…飛影は蔵馬に神経質だ…過保護と言って
良いほどに。
細いからだが気になるのか、そっとガウンを掛けると、飛影は部屋に入った。

蔵馬の部屋は、庶民の小さな部屋とは比べものにならないほどの広さで…、
その端にある寝台を整えると、飛影はランプをつけた。

添い寝をしたことがあるのは、屋敷に来た、蔵馬が小さな頃だけだ。

近くにいながら触れることはない…。


そっとバルコニーを見ると、蔵馬は小さく歌っていた。
それはこの地に伝わる、恋を囁く歌だった。蔵馬の声は少し高く、柔らか
かった。
思わず聞き入りそうになって、ハッとする…。
「もう入れ」
この間も風邪を引きかけたことを、この優秀な執事は覚えていた。


「どうした、ほら、整えてやったぞ」
蔵馬の世話係…執事は、いつもの感情のない瞳で言った。
…少し、拗ねた瞳で蔵馬はその袖を引いた。
「あのさ…」
今日はいつもの明るく気の強い感じと違う…このざわざわした感じは
何だと…飛影は思った。
こんなに近い蔵馬は初めてで、思わずずっと止めていた手が…
伸びそうになった。
蔵馬は、飛影の燕尾服を掴むとお願いとだけ言った。



「ありがと…」
寝台の中、蔵馬はその胸に体を預けて言った。甘い瞳。
「どうした…」
白い首筋…そして僅かに除く服の中に、ゴクンと唾を飲んだ。
今夜に限ってどうして。
ずっと幼い頃から一緒だった…けれど飛影はずっと蔵馬を見つめて、
そしていつも手を差し伸べてきた。
送り込まれた女中が毒を仕掛けたスープを持ち込んだときも、蔵馬に
渡る前にすり替えたのも飛影だ。
馬に乗って足をくじいたときも、包帯を巻いたのは飛影だ。
「飛影の、におい…好き」
ずきっと、胸が訴えるものが響いた。
どうして今夜はこんなことを言う。
「あのね…あさって、舞踏会がある…んだ」
潜められた声が、震えていた。
なにを意味するかは、手に取るように分かる。


領主に蔵馬が狙われているという噂はずっと昔からで…この土地よりも
大きな、南と北の領主が、二人とも蔵馬に会いに明日来るのだろう。
そのまま金払いの良い方に、この屋敷から蔵馬を預ける…と言う名の
売買をされるのだろう。
蔵馬をほしがるやつは他にもいた。
手に入れた愛妾は、その屋敷を任されることもあるし、そのまま囲われる
だけのこともある。
運命は気まぐれだ。


「蔵馬」
そっと、飛影の指を掴んだ手に、力がこもる。長いまつげが揺れると、
蔵馬はすがりついた。
「お願いがあるの…」


唇は一瞬だった。

奪ったのは飛影だった。
手を重ねたのは蔵馬だった。


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

「あっん…」
衣を剥がすと、固まったような声が漏れた。この声…どこに潜んでいたのか
すら分からない、純粋な艶。
体を隠そうとする手をどかすと、蔵馬は戸惑いを含んだ瞳で飛影を見つめた。
蔵馬の体に乗り、今飛影はそのまま曝け出していた。このままこの腕で。
けれど、決めたのだ。
今蔵馬がこの屋敷から消えること、波乱を含み過ぎている。
「飛影…」
すがりつく蔵馬を、抱きしめると、白い指が背に回った。
「好き…」
もっと、何度も言いたかった。
「ふっ…」
胸に舌を這わせると、びくんと跳ねる…初々しさに、荒くしそうだった。


「あ…」
中心を撫でると、漏れる声に口を手で覆う。
唾液がこぼれるのを、どうしようもなくて、蔵馬は顔を横に倒した。
いつもの悪戯な瞳より、ずっと純粋で羞恥の強い存在。
「大丈夫…だ」
口に含むと、いや、と言う声が聞こえた。嫌じゃないだろうともっと…
しがみついてみろと言ってしまいたかった。
「あっ…」
熱に流される声だけが、薄暗い部屋の中、聞こえた。
熱い瞳が、足の狭間から蔵馬を射貫いていた。梳かれると、先端からの
液体が流れ出した。
「ひっ…え」
涙は、どう言う意味なのか。
この体を追いたい。本当は欲しかった、多分…お互い。

「あぁっ…」
重なる瞬間の蔵馬の瞳を、見逃さなかった。
熱を帯びた中の、情熱。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━・‥…━…‥・‥…━…‥

舞踏会は、華やぎに満ちていた。

腰で切り替えられた青いドレスを揺らし、蔵馬は黙って踊っていた。
メヌエットがかかり、ゆっくりと手を重ねて足をターンさせ…
無機質な瞳で相手を見つめる。


音楽は止まることなく流れるようで…夜は更けるかのようだった。

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