飛恋〜花紡ぐ夜2〜



「蔵馬、お前を気に入った方は多いよ」
幼い頃に蔵馬を引き取った仮の父はそう言って笑っていた。
唇の端をつり上げて笑う顔が、蔵馬は余り好きではなかった。
けれど、弱いものは縋るものがなくては生きていけない。
「はい」
無機質な瞳でただ頷く。飛影は、今は近くにいなかった…。

手を重ねて踊っていても…相手の顔すら覚えていなかった。
それよりも…。
昨日の熱が、冷めずに体を支配している。


やがて夜食の誘いがあると、父は蔵馬に部屋に来るようにと言った。
「分かりました。その前に、疲れましたので少し休憩を…」
優雅に頭を下げると、蔵馬は部屋へ続く階段へ向かった。
白い階段は、百合の紋章が施されていて、触れるたび、この人の
屋敷でなければもっといいのにと思った。



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「それでは黄泉様、お待ちくださいませ」
父は、ヒキガエルのような顔をクシャとよがらせて笑った。
黄泉という伯爵は、父のようなものでは及ばない札束で、蔵馬を是非にと
言ってきた。父にとってこんなに喜ばしい話はなかった。若い頃に
手をつけた女が生んだ子供が、こんなに美しく成長するなど、奇跡だ。

「蔵馬を急がせなさい」
「は、はい」


女中が蔵馬を呼びに走って…蔵馬はいなかった。
「蔵馬様!」
ノックにもない反応に、女中が部屋を開けると、誰の気配もなかった…。
ただ舞踏会のための服が脱いで投げられていた。


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
「蔵馬さま!」

遠くから、もう一人の蔵馬付の女中の声がした…。

屋敷の塔の上へ続く階段。

それを、蔵馬は細い足で駆け上がっていた。

「はあ、はあ…」
荒い息を堪え、そのまま頂上を目指す。
「つい、た…」
手すりに手を突き、下を見つめた。…庭園…大きな噴水、この光景だ
けは好きだったけれど。
今は眼下に小さく見えるだけ。

「蔵馬さま!」
遠く、誰かの声がした。

知らない。もう知らない。

蔵馬は、ふわりと身を躍らせた…いつもの白い衣のまま、黒髪が夜の月に
舞った。

どこかで、悲鳴が聞こえた。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥



「ま…蔵馬!」
覚えのある声に開いた瞳は、一瞬彷徨って…そして目的の人を見つけた。
「飛影…」
木々で破れた服の間から、白い腕が見えていた。
「気がついたか」
うんと、蔵馬は笑った。

抜け出すから俺をさらってと…そう言ったのは、蔵馬だった。
身を躍らせた蔵馬の体を、闇を切り抱えて飛んだのは飛影だった。

「ありがとう…」
黒衣で蔵馬を覆うと、蔵馬は力を抜いた。

「俺を…このまま盗んで」


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