ピンクノクターン1





「は…」
その人は…白い息を吐いた。首をさす風に震え、ベージュの手袋を
擦り合わせた。
長い黒髪が肩に触れ、短くなくて良かったと、本気で思った。
座っているベンチも冷えていて、仕方なく足をぶらぶらさせて
みる。

「飛影、まだかな」
と言ってもまだ5分…ただ、手持ち無沙汰に、蔵馬は辺りを見回した。

ピンクとベージュの、壁が連なるアウトレット。

魔界にも、いつの間にかこんなものが出来ていた。
知らなかった。
噂には聞いたことはあったけれど、見るのは初めてだ。コの字型に店が
配置れているアウトレットは、賑わっていた。

甘い香り、クレープと、ワゴンのミルクティーの店だ。一緒に、コーヒーも
売っている。
ちら、と周りの店を見る。
人間界のように、雑貨の店や、洋服の店が立ち並んでいた。
「あ…」
少し遠く、飛影が見えた…手をふろうとして、止まる。飛影は、誰かと
携帯で話していた。長電話ではなく、けれど真剣な表情。何かを
確認する仕草をして、会話を終えた。



少し離れた場所で、観覧車が見えた。金とピンクに光る観覧車は、最近
出来たものだ。
と、そばで声がした。
「可愛い妖狐ちゃん、ちょっとこっち来ない?」
びくんと、ふりむくと、ニヤニヤとした大男が、ベンチの前に立っていた。
カエルに似ている、と蔵馬は思った。嫌な視線。
「…」
無視をして、マフラーを弄ってみた。小さな無視は、カエルを刺激した
ようだった。

「可愛い顔して連れないねえ、色気の妖狐ちゃん」
かあっと、血が上るのを感じたのは蔵馬のほうで、バッと、手袋をした
手を振り上げ…、止まった。
「俺の連れに用か」
グイと、蔵馬の手を掴んだのは飛影だった。
「ひっ!」
お前、と小さな声がした、カエルからだった。
「邪魔だ、どけ」
声だけをカエルの方に向かせ、飛影は短く言った。カエルの大きな顔が、
汗だらけになっていた。
「わ、わかったょぁ」
最後はハッキリした言葉にならず、蔵馬を見ると、踵を返した。
そのまま早足で、出口へ向かっていく。

「大丈夫か」
蔵馬の前に立ち、飛影は小さく聞いた。
「大丈夫だよ、あんなの」
ここは魔界なのだから、遠慮なく追い払えたのに。
拗ねると、くしゃと、頭を撫でられた。
「ああ言う相手は俺がする」
あの類のやつに、蔵馬が手をかける必要はない。
蔵馬は、小さく笑った。
「似合うじゃないか」そっと、手が伸びた。
「ちょっと崩れてる」
擽ったさに、蔵馬は首をひねった。今日、24日、突然飛影
が買ってくれたマフラー。
白のダッフルコートの蔵馬に、その薄ピンクのぶわふわとした
マフラーは、映えていた。
「ありがと…」




「こんな店、出来たんだ」
2階まで上ると、蔵馬の声は弾んだ。2階はケーキ屋と和菓子の店
が並んでいた。
まるで、小さい頃家族で、行ったお店のようだ。
「可愛い…」
ウインドウから見える、小さなマカロン。薄桃の。
「…お前の色みたいだな」
「…え?」
風に消えた小さな呟きに、蔵馬が隣の飛影を見た。
「何でもない」
2度言うのは、ごめんだ。
「意地悪…あ、見て、あれ」
マカロンに、小さなチャームが、おまけになっていた。
「美味しそう」
夢中な声が純粋で。
「味は、知らないぞ」
2階に、面白い店があると連れてきたのは飛影だったが、中に
入ったことなどない。
「知らなくて、良かった」
今度は小さく蔵馬が言った。こう言うもの、飛影が知っていたら…
そんなきっかけは知りたくない。

結局マカロンは店の入り口で、皆たべていたので、二人もそに
倣った。
魔界の冬は人間界よりも、ずっと冷たい空気を孕んでいる。
飛影は、手袋の上から、蔵馬のの手を握った。


あ…
わかる。
静かに。飛影は、温めてくれているんだ…。


「観覧車…出来たんだね」
弱く、蔵馬はその手を、握り返した。
「ああ、一月前に…行くぞ」
グイと、本気の力で飛影は蔵馬を引いた。
「えっ…」
「並ぶぞ」
風に巻かれたマフラーをもう一度直し、飛影は早足になった。
白い息が、後を追った。



24日空いている、魔界に来いと言い出したのは飛影で。
本当に、と聞き返したのは蔵馬だった。嫌ならやめるぞと言われ、
そんな筈ないよと言うと、 唇を塞がれた。
だから…だから、こんな魔界の冬を見つめている。

橙の太陽が雲に半分覆われ、周りだけが濃紺に染まっている。
夕闇よりは暗い、不可解な魔界の空だ。
観覧車は、その中で一一際大きく見えた。




ゆっくり、観覧車は魔界の高台にあるアウトレットを上っていく。


「綺麗…」
アウトレットが、小さくなっていく。さっきのベンチも、クレープ屋の
薄緑のワゴンも、マフラーを買ってくれた店も見えた。アウトレットの
外側に広がる、小さな森も…。
「ふふ」
「どうした」
「あの森ね…まだ小さな狐だった頃、時々寒さを凌いでいた森なんだよ」
おかしそうに笑うと、蔵馬の瞳が揺れた。
「ひ…え」
隣に座っている飛影に、顎を取られていた。重なっていたのは、熱い唇。
「もう、寒いこと、ないだろ」
耳元で、囁やけば蔵馬は、力を抜いた。
「ん…」
もう一度唇がを重ねると。観覧車が停まった、多分一番上。数秒。
「あ」
小さく、瞳の端に映ったもの。百足だった。飛影は、気づいていない
ようだ。



「寒いか」
観覧車を降りると、飛影が訊いた。
「ううん…あなたのおかげ」
ずっと、暖かくしてくれていた。
「魔界も、随分変わったんだね」
「最近だ、百足にお前が遊びに来てから、大分経つ」
飛影が蔵馬と会える時間は、隙間を縫うようで、だから、変化の度に
見せることは出来なかった。それでも、人間界に似ていく度、一人で
歩くには、何か足りないことに気付かされた。

「こんな店、俺の住んでいる街みたい」
生活雑貨の店を見て、蔵馬が言った。ブランケットや、ルームフレグランス。

「お前の…部屋のにおいに似ているな」
ひとつを手に取って言うと、蔵馬は顔を背けた。ジャスミンの香りに近い―。
薄桃色に染まった頬が、隣に見えた。

その時、光るものがあった。…携帯の、アラームライト。
はっと、飛影がそれを見る。
蔵馬も、一瞬。
「時間だ」
びくんと、肩が震えた。唇を噛み締めたのは、蔵馬だ。蔵馬の目の先に、
薄いブラウンのタイルの床だけが見えた。

「行くぞ」





数歩先を歩く飛影を、ぼんやり見ながら、蔵馬はノロノロ歩いていた。

アウトレットの入り口まで、戻ってきた。入り口…今日飛影との時間が
始まった入り口。


「ここだ」
カランと、1つの店の扉を、飛影は開けた。


そこは、小さなアクセサリーの店だった。ピンキーリングが、入り口に
並んでいる。
心地悪さに、蔵馬は立ち尽くした。
「そうだ、それだ」
飛影の声が、遠くー蔵馬にそう思えたー聞こえた。飛影が何度か頷き、
金を出すのが見えた。
「注文通りだ」
感謝すると、飛影が言った。


カランと、扉が閉まる音がした。
「飛影…?」
なにをしようというのか分からない。好きだけど、時々飛影の考えが、
はっきり掴めない。



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