Faraway Blue




今頃あの人は、どんな空を見ているんだろう、と思った。
この窓からは遠くて、空の色までは見えない。
自分の瞳は、そこまでは届かない。







与えられた部屋から外を見て、蔵馬はため息をついた。
黄泉からの招きでここに来て三日。
粘りつくような視線に耐えかねて、会議が終わると直ぐに
自室に帰って来た。
あの視線を浴びるだけで、疲れる。




べつに、寂しいとか、会いたいとかじゃない。

自分たちは至極曖昧で、遠くて、時々近づいて、言葉にすら
うまく出来ない形のままだ。



ただ、ただ時々少し嬉しい。

武術会で言われた言葉や、魔界に来るときに言われた言葉は、
今も心に響いている。




『 もっと自分を守れ 』

何度も言われた言葉の意味を、追及することは出来なかったけれど。


ただ、不思議な安心感があって、時々それに酔いたくなる。
だから、引き止めてしまった。
-- あの時。

別れ別れになる前日に部屋に着た飛影の服を引っ張ってしまった。
『どうした』
淡々とした瞳は、その中に、ほんの僅かだけ、仕方ないなと言う色を
潜めていた。
…ような気がした。






それを思い出して長い睫毛を伏せた瞬間、
「蔵馬」
そばで声がして、はっとした。身を強張らせる。

気づかなかった、いつの間に。
「よみっ。ここは俺の部屋だ。勝手に入って来るな---っ!」
突き飛ばそうとした瞬間、唇を奪われた。
「んっ!」
背を窓に押し付けられて、舌を絡め獲られた。
完全に不覚だった。
ねっとりとした感触に、悪寒が走る。
「っ…」
窓にもたれる形で、蔵馬は一気に緊張した。
もっと深く…と入り込もうとした瞬間、
「!」
黄泉を突き飛ばした。

荒い息をして、精一杯黄泉を睨む。相手より強いとか弱いとかではない、
屈するわけには行かなかった。

そして、隙を見せた自分を悔やんでいた。
「何を考え込んでいた?蔵馬」
余裕で微笑んで、黄泉は蔵馬の黒髪をすいた。ゾッとした。
「離せ!」
条件反射のように――振り払っていた。

「つれないな、相変わらず。逃げ場はないというのに?」
くく、と笑うと、黄泉は少し離れてまた笑った。
「明日の会議が終了したら少しのこれ」
そう言い放つと、部屋を出て行った。









「−−−ん!」
机の上に倒されて、蔵馬は苦しげに息をしていた。
前ボタンをはずされて、びくっと体がしなる。
ーやめっ…
口を開けず、浅い呼吸だけを繰り返す。
窓から入る光が黒髪に反射して、まぶしかった。黄泉はため息をついた。
相変わらず美しい。

「ずっと待っていた」

捜していた。生きる意味はお前だった。

言うと、首筋を舐める。
やっと唇を解放された蔵馬は、その瞬間、
「−−!」
黄泉の首筋に噛み付いた。
「はぁ――はぁ…」
荒い息はどっちのものなのか…。
「やめ、ろ…」
消えそうな声が、響いた。

「蔵馬っ、お前は…」



ただ、そこから蔵馬は飛び出した。



ーーだから、来たくなかった。

分かっている。今は逃げられないことなど。



温室庭園に篭ると、鍵を掛けて座り込む。
このままここにいたら。
…いなくてはいけないのだろうか。
ぼんやりと、頭の片隅でそんな事を思う。

花の甘い香りは少しだけ心を癒してくれる。
手にとってそのまま握り締めると、慰めるかのように、花が揺れた。

薄い紫色は、暖かい色だ。

しゃがみこんでそのまま眠りに入る。





・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

「どうした」
はっとして振り向いたら、そこには上司が居た。
「躯」

「何を眺めている」
要塞の一番高いところで佇んでいる飛影に、躯は近づいた。

「お前は強くなった」
飛影の返事を待たずに、切り出した。
「−−」

それを無視して、飛影は第三の目を閉じる。
…中には、形をとらない、ただ曖昧なあの妖気だけが 漂っている。
逞しくなった右腕を少し見詰めて、躯は口を開いた。
「だが、まだ焦りが見える」
「貴様…」
殴りそうになった手をあっさり受け止めて止めると、くすくす
笑いながら続けた。


ーーまだ子どもだ
「焦りでは強さを極められん」
瞳に真剣さが宿る。
「冷静な強さを持て」

何に気づいているのか、それだけを言って去っていく。
ちらっとそれを見詰めて、飛影はまた遠くを見た。



・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

その日から、蔵馬はこっそり温室で眠るようになった。
黄泉はあれ以来追い求めることは無かったが、執拗なまでの
視線を感じる。
書類の整理は増え、国王へのお茶出しまでも蔵馬の役目にされた。
会議の前に付いて用意をして全ての議事録と書類整理と
三すくみの軍の変化を捉える。

気が休まることが無く、今はただ温室だけが癒しの場所だった。





ーー 国なんか関係なくただのケンカを
幽助の提案で全てが壊れた。
その瞬間、気が遠くなるような錯覚を覚えた。
一瞬で、魔界の風が遠くなり、あの重苦しい要塞が音を
立てて崩れていく。



幽助。
ちらっとそっちを見ると、小さく微笑んでいた。
…ありがとう。


「おつかれさん」
久しぶりに会った幽助はまぶしかった。
少年から大人になる手前の、時々はっとする大人の顔を
見た気がした。

でも、変わってない。
その優しさも。
「うん。でも、びっくりしたよ」
「だろう?」


自由にならないといけないと思ったからさ。

「…え?」
「なんでもねえよ」
くしゃ、と蔵馬の頭をなでると…


「相変わらずだな」
覚えのある声が、した。
飛影。
「飛影じゃねえか。元気だったか。」
懐っこく近寄る幽助を蔵馬は黙って見詰めた。



時々、この素直さが羨ましい。
「触るな」
幽助の手を払うと、蔵馬の方を向いた。
…ドキッとした。
「お前もだ」
「え?」
顔を上げると、深い色の瞳と交差する。
「隙を見せるな」
額を小突かれて、はっとした。
「え…」
一体何を知っているのか。
「こいつにも障るな」
幽助にそう、こいつ、とゆっくりとにじませるように言うと、
飛影は蔵馬の手を引いた。







「あ。あの・・・」
どのくらい歩いたのか…冷たい風と森だけの丘に、蔵馬は口を開いた。
「蔵馬」
絡んだ視線に、緊張が走った…。どうしたらいい。

「少し痩せたな」
唐突に言うと、蔵馬は視線をそらした。
「はい」
なんていったらいいかわからない。
何かを切り出すべきか、明るく振る舞えばいいのか。





思いが巡るが、うまく纏まらない。
そんな蔵馬をじっと見て、飛影は小さく言った。
「トーナメントがある」
「…はい」
「しっかりしろ」

とらえどころの無い言葉で、飛影はまっすぐ蔵馬を見つめた。
この視線は苦手だ。捕まえられてしまいそうで強くて熱くて。
ああ、どこかで見た瞳だ、と思った。



『もっと自分を…−−−』
あの言葉の時と同じ。



「はい」
ジワジワとにじんでくる何かに、泣きそうになった。
ああ、いつも。いつも気にしてくれている。
今なら、今なら…

「あの」
そのまま帰ろうとした飛影を呼び止める。
「何だ」
「あの。俺ーーー」
あなたが。
小さく言葉にすれば、心が震える。


ツン。

そこまで言うと、飛影の指先があった。目の前。
「続きは、大会の後で聞く」
「ひえい!」

一瞬後には姿は無かった。
風のように去っていったひとを、戸惑ってそして少し頬を
膨らませて見詰める。
「…もう」
でも、温かい。
もっと自分を。



・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥






時雨との闘いは目まぐるしく、そして熱く鋭いものだった。
気が抜けず、思い出の花を召還する。
倒れこんだ蔵馬を見つめたのは、自分が一番早いと思った。


ーーーけれど。

油断していた。

かけつけようとした時には黄泉がいた。



    『最後にしろ』
    黄泉のそばにいた躯が言った。
    『手に入らないものを望むのは、最後にしろ』

   キリを付けに行けよ。
  




蔵馬を抱える黄泉に、激しい何かを抱いた。

触るな。
触るな。
お前にだけは…。と、思う。
少し出遅れた飛影は、黄泉の前に立ちふさがった。

蔵馬を、見詰める。

そして黄泉を見詰める。
「返してもらおう」
冷たく鋭い瞳で、黄泉を見る。


「こいつは、俺のものだからな」
全てを溶かす想いが、宿って居た。



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