叫ぶカナリア

モクジ

  叫ぶカナリア〜恋輪廻〜  




「うっ……あ」
うめき声を上げたのは飛影のほうだった。魔界の大地、荒涼としたその乾いた土の上で、
飛影は呻いた。馬乗りになっているのは、蔵馬だった。茶色く湿った土の上で、服を汚
して横たわっている飛影だった。
蔵馬は、はあはあと息を漏らして飛影の上に居た。髪が乱れ、その首にも土がへばり
ついていた。
「ひ、えい……」
ぽた、と落ちたのは蔵馬の涙だった。蔵馬はただ涙を流していた。
細い指が飛影の首にかかっていた。震えながらそれでも蔵馬は両手を飛影の首に掛けて
いた。
「あっ……」
声を漏らしたのは蔵馬だった。気を緩めれば、力が抜けそうで。いつもは余裕で自分を
抱きしめている飛影を、今はこうして仕留めようとしている。分かっている、自分の中
にはまだ愛しさがある。なくせないものだった。でも、その愛しさの分だけ飛影をどう
にかしてしまいたかった。
「うっ……」
青白く、黒さを帯びて飛影の首が僅かに動いた。それでも、馬乗りになっている蔵馬から
逃れることは出来なかった。こんなに本気の蔵馬を見たのは、初めてだった。
「あなたを…許せないよ……」
蔵馬の顔がゆがみ、そして涙がただボタボタと流れた。飛影の首に流れ茶色い土に染み
こんでいく。



きっかけは墓だった。



「うっ……」
しゃがみ込む蔵馬を見つけたのは、ただの偶然で……。
二人で魔界に住み始めて暫く経って、パトロールの最中に、飛影は立ち止まった。
この先に…覚えのある声がする。
蔵馬の声だ。なぜだ。今日は薬草を採りに行くと言っていただけだったのに。揺れる
妖気を、飛影は感じた。
はっとした。
小さく聞こえた言葉…飛影。


ガサガサと、雑草を分け入って、飛影は森を駆けた。
深い森は飛影を阻むように草が生い茂っていたが、関係なかった。木々を焼き払いたい
衝動に駆られながら、飛影は走った。

そして息を呑んだ。


シャツが破れ、しゃがみ込んでいる蔵馬がいた。森の奥の湖の傍で、蔵馬はしゃがんで
いた。蔵馬、と叫ぶと、そっと蔵馬は飛影を見た。血の臭いが、充満している。蔵馬の
ハアハアと言う息を感じた瞬間、血の臭いが鼻を突いた。周りに転がる、切り刻まれた
男たち。蔵馬の数倍はあると思われるやつらが、何十体も転がっていた。腐肉のような
臭いをまき散らし、それらはぐちゃぐちゃに転がっていた。
と、蔵馬の叫びが聞こえた。
「飛影!逃げて!」
ザッと木々が揺れた。上から感じる気配……細く、指の長い、蔵馬の倍の大きさと
思われる男が、降ってきた。男の爪が伸び、覚えのある色が飛影の目を射貫いた。
これは、前に蔵馬が言ってた危険な毒の色だ。一瞬で男の姿が消えた。
「退いて!」
目の前の飛影を、蔵馬は突き飛ばしていた。
転がるように腰を打ち付けた飛影は、目の前の光景をただ見るしかなかった。
肩で息をしながら、蔵馬は何かを唱えていた、その爪の先にある種に息を吹きかけ…
出来なかった。
それが終わる寸前で、男が蔵馬の腕にしがみついていた。
「どけ!」
飛影、来ないでと蔵馬は叫んでいた。

男は蔵馬の腕にしゃぶりついていた。
「あ、あ!」
うめき声が響き渡り、蔵馬は倒れ込んだ。
「そこをどけ!狐!」
毒は一瞬でからだを巡っていた。蔵馬の腕から力が抜けて、顔が蒼白へ歪み始めた。
息が、浅くなっていく。
「く、そっ」
小さな声が、飛影の耳に届いていた。男が、蔵馬を押しのけようと蔵馬の首を掴んで
いた。ギリ、と男を睨み、蔵馬は飛影に口だけで何かを伝えた、こないで。
蔵馬の後ろにあるもの……飛影は、それを見止めた。

小さな、墓だった。
片手に収まりそうな、墓。
白かったであろうそれは、土をかぶり蔦が絡まり始めていた。
真ん中に何か、文字が見えた。
来るな、とだけ蔵馬は何度も飛影に訴えた。
墓の文字に……飛影の目が細められた。

あの名前……飛影の母親の名前だ。何故魔界に。魔界の文字で氷女と書いてある。
種族が記されていると言うことは、確かに飛影の母親の墓で、なぜこんなところに。
蔵馬が碧の瞳を歪めながら墓を背にしている。
けれど、分かったことはただ一つ。
この墓を、蔵馬は護ろうとしている。幾つも転がっているこの死体は蔵馬が作り出した
ものだ。何時間掛けたのか、乾いた血の臭いが混ざり、腐ったような香りと化していた。


くそっと、言ったのは飛影だった。
ふざけるな、その思いが、飛影の身体中を駆け巡っていた、蔵馬だけが、自分の母親の
墓を護ろうと、自分の知らない場所で藻掻いている。そんなこと、ふざけている。
「俺が、黙っていると思うなよ」
呟いたのは飛影だった。


「蔵馬!! 」

森に駆け巡った声は、ただそれだけだった。
黒龍ではない、飛影の後ろから火が舞い上がり、男を焼き尽くした。

駆け寄った蔵馬は、力なく飛影の腕に倒れ込んでいた。けれど…返ってた声は、飛影の
思いを消し去るようなものだった。
「どうして、いたの……」
もう伝わってしまったこと…蔵馬は墓を見た。
「なぜ、言わなかった、パトロールに出ている間……」
何日も蔵馬がここで墓を護っていたのは明白で。
「許せないもの」
キッと、蔵馬は飛影を強く見上げた。
「あなたの大切なものを、傷付けるなんて! 」
激しく、蔵馬は首を振った。
「こんなの、見せたくなかった! 」
汚れた墓。草が取り囲み、蔦が墓の輪郭を消し去ろうとしていた。
「この中に…金の氷泪石があると言う噂が昔からあって、それで」
だからこの墓を狙う者は後を絶たない。でも、これを汚されるのは許せなかった。
「お前は」
わかっていない。もどかしさだけが、飛影を包んだ。
「わかってない…」
こんな墓など、護りたいなどと、飛影は思っていない。


過去を認めないわけではないし過去を憎んでいるわけでもない、雪菜のことと
氷河のことは別の話だ。傷ではないと言えば嘘になるけれど、そこに執着し続ける
ほど自分は浅く生きてきたとは思っていない。
「だけど! 」

だけど俺は許せないんだよと蔵馬は泣きながら、そう言った。
「あなたが好きだから」
好きだから、護らせてよと蔵馬は何度も叫んでいた、泣きじゃくって、叫んでいた。

だから、今がある。
「おれはっ……」
馬乗りになって、蔵馬は唇を重ねた。ぐいと飛影の首を上向かせて。
「あなたを……傷付ける者が全部消えれば良いと思ってる! 」
飛影の唇に噛みついて、上唇を舐めあげた。青ざめていく飛影の首筋を愛しげに
撫でると、頬をすり寄せた。
「どうして、わかってくれないの」
あとすこし…本当に、あと少し力を込めれば飛影はこのまま蔵馬のものになる。
青ざめ黒みを帯びていく飛影の顔を、蔵馬は泣き笑いで見つめた。好きだ。
「俺は…っ…」
絞り出した飛影の声に、蔵馬は瞳を開けた。
「…俺を……傷付けられるのはお前だけ…だ」
つ、と飛影の喉がヒクついた。
ふと、抜けた力。色を失っていたのは蔵馬のほうだった。
「お前、だけだ」
弱々しく、飛影は声を絞り出した。



「やめ、て……」
力の抜けた蔵馬のからだを抱きしめたのは、飛影だった。顔を見せろと、飛影は
言ったのだ。涙でぐしゃぐしゃなのは蔵馬で。
「見ないでっ……」
「もっと、近くに」
蔵馬のからだを横たえたのは、墓の前だった。木々がざわめいて、そして生暖かい
風がどこからか吹いた。
「お前だけが」
乱していく。
あ、と蔵馬は肌を晒し、シャツを落とした。傷ついた腕を、飛影が見て笑った。
「こんな傷、俺が消してやる」
この夜の中で。
「ひっ……」
両腕を上で一纏めにすると、飛影は囁いた。
「必要なのはお前だけだ」
片腕で胸の突起を摘まむと蔵馬は薄桃色の頬で、飛影を求めた。この温もりを、なく
したくない。誰かのせいで蔵馬が涙を見せるなど、こっちが許せない。蔵馬はそっと
舌を出して飛影に抱きついてきた。
「見せつけてやれ」
今自分はこんなに幸せだと……。一人ではないことを、この墓に。この墓がどうして
出来たかなどどうでもいい。本物かどうかなど問題ではない。
「ああっ……」
激しく打ちづける飛影のからだに、懸命に蔵馬はしがみついていた。ぼんやりと墓が
見えた。切ない恋の話を聞いたことがある……幸せでしたかと、涙を流しながら蔵馬
は思った。こんな幸せを、飛影からもらっている。
「俺を見ろ」
どこを見ていると、苛立ちの声がした。
「あ、んっ……」
奥まで突かれ、蔵馬は仰け反った。
「もっとだ」
「あ、あ! 」
ぶつけられた熱い想いを、受け止めてやると、飛影は想った。









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