かりそめの黒、濡れ落ちる吐息

モクジ

「あっ」
ハッとして、蔵馬は口を押さえた。
誰も居ない教室の、端の壁に背を預けて、蔵馬は喘いでいた。
白い首筋が、明るい電灯の下で晒されていた。
胸が鼓動を打つ、速く。それを隠すように、蔵馬は口を片手で覆った。
誰も見ていない、それを、閉じられた扉の向こうを伺って感じ取る。
「どこを見ている」
「どこもっ――あなただけ」
低い声に、蔵馬は必死の声を出した。
短いスカートがめくられていた。



・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

黒いメイド服の、そのスカートを捲られて、蔵馬は足を広げられていた。
「俺を見ろ」
ぐちゃぐちゃにしわが寄ったスカート。
膝までの靴下をズル、と下ろす感触がした。太ももの付け根を、低い声の主が舐めた。
「あ、あ!」
響き掛けた声を、蔵馬は止めた。
「ひ、えい――」
壁に背を預けたまま、蔵馬は涙目で飛影を見つめた。意地の悪い瞳が蔵馬を射貫く。
「楽しませてやる、ここでな」

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥


それは、――まさか飛影がくるとは思わなかった日で。


文化祭、その行事のちょっとしたアイディアで、蔵馬は喫茶店のメイドをすることになってしまっていた。

女子が言い出したことの話に、賛成の手ばかりが上がったのだ。
文化祭の前日、なぜか飛影は人間界に居た。
このときばかりは――来ないで欲しかったのに。
暗い気持ちでクラスの提案を受け入れて、蔵馬はそう思った。
窓に足を掛けて蔵馬、と呼んだ飛影を見た瞬間、いつもの浮かれた気持ちが沸いてこなかった。
もしも明日まで飛影がいたら。
学校を休めと言われたら。
それよりも、飛影がいるその恋しさに溺れて、夢中になって。日常がどうでも良くなってしまったら。


自分を抑える自信が、蔵馬にはなかった。半年近く会っていなかったのだ。

久しく会った飛影の、燃える瞳を見る、それだけで胸が高鳴る。炎のようだった瞳は今は不思議な静けさをたたえていた。
その中にある、確かな強さを蔵馬は感じていた。
少し会わないだけで妖力が上がっている。急激に。これが魔界に生きる証し…。

その腕は自分以外に誰も抱きしめていたりしないか、何をしていたのかどうしていたのか――。
色々なことが頭をよぎった。

高鳴りを誤魔化せなかった。
強くなったねと言った瞬間蔵馬は口づけていた。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

けれど、次の日の朝まで飛影に滞在を許すことが出来ないのだ。
会いたかった、恋しかったその反面、文化祭のことが頭を占めている。明日なんてどうでも良い。
そう思いつつ…休むわけには行かないと、妙に律儀な自分がいる。

そんな日に限って飛影は優しく蔵馬を抱きしめて、蔵馬が目覚めるまでそこにいた。
「人間には学校って言う生活があるから」
そう言った蔵馬の、曖昧な微笑みに飛影は何も言わなかった。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…



ため息を吐きながら、蔵馬はクラスの喫茶店のために、一人着替えた。
膝あたりの黒いスカート。これを見たらなんて言うだろうか。怒るだろう…か。いや。怒るとは思うけど。
人間の振りをすることか、このメイド服で接客をすることか。
どちらにしろ、何だか嫌な感じしかしない。ふうとため息を吐いて、蔵馬はチャックを上げた。
すうすうする。膝に、いつも違う感覚があった。


「いらっしゃいませ」
もうここまできたらやるしかない。
文化祭の花火が鳴ると、張り付いた笑顔を作った。
どうせ飛影はいないのだ。いないのだから、決まったことはもうやるしかない。終われば、またどうせ飛影は家には居ない。
どうせ魔界に帰っている。
薄情なとは言わないけれど、何だか理不尽を感じる部分もあるのだ。来るくせに、ふっと姿を消していく恋人。
飛影は決して「帰る」とは言わない。いつだったか、「あそこは仮の場所だ」と言っていた。

それは…決して「帰る」場所ではないと言うこと?じゃあ、そばが、蔵馬のそばが居場所だって、言う意味?
訊こうとして訊けなかった。


お皿を置いて、蔵馬は笑顔を客に向けた。優しいけれど直ぐに消える、大事な人のことを今は忘れてしまいたい。
膝より少し下の黒いスカート。それをひらひらさせて、そして笑顔を作る。何だか崩れた笑顔になっている。
その自覚はあったけれど。それでも紅茶を持って、蔵馬は教室を訪れる人々に声を掛けた。
ああ、早く終われば良い。こんな格好――知り合いには見られたくない。
それに、早く帰りたい。帰りたいけれどどうせあの人はいない。複雑に絡み合う糸のように、
一瞬一瞬心は形を変えた。
あの人はもう戻っていっただろうか、もう、誰かが迎えの使い魔でもよこしているだろうか。
どうしてこんな日に。
いっそ終わってから明日来れば良かったのに。
お皿を持って、そして蔵馬はその時気付かなかった。ガツンと、次の瞬間衝撃が走った。
「あ!」
目の前に、テーブルに広がった紅茶が見えた。笑顔が引きつっていく。
「す、すみません」
「ああ、いいよ」
誰かの兄弟だろうか、蔵馬よりもいくつか年上の、穏やかな男だった。
「ちょっと手が熱いだけ」
「あ、あの「君のも汚れている」」
蔵馬の、黒いスカートだった。
黒に隠れて目立たないが、うっすらと茶色い色が染みていた。
「すみません――」
「ああ。こっちは汚れていないから」
そっと、男の手が蔵馬の手に重なった。
「手、怪我してない?」
「何をしている」
男の声に、ふと重なった声があった。
低い声。
テーブルの横に立つ低い声のその人。――飛影。
飛影は、黙って、蔵馬の手に重なった男の手を取った。ぎゅっと蔵馬の手に重なった男の手が、冷たくなっていく。

「こいつは火傷なんかしていない」
ピン、と男の指を、弾いたのは飛影だった。
ゾクっと、何か冷たいものが蔵馬の背を走った。ギリ、と飛影が蔵馬を見た。
まさかここに飛影が来ると、思わなかった――。



だから、今ここに居る。


蔵馬の教室の、いくつか奥の、使われていない教室に、飛影は蔵馬を引っ張り込んだのだ。


ガン、と蔵馬はその端の壁に投げつけられた。まともに背中を打ち、肘が壁に擦れた。
「っ「随分、女らしい格好だな」」
赤い傷に顔をゆがめると、飛影は蔵馬にのし掛かっていた。青い汗を、蔵馬は感じた。


壁に背を預け蔵馬はメイド服のまま体育座りをした。何故だか飛影の瞳が氷のようだった。

飛影は、舐めるように蔵馬の服を見た。

何か、分からないけれど言葉にしようのない苛立ちを、飛影から感じた。
「ああやって、触れさせる仕事か」
「ちが、あれはただのイベントで」
「ふ、ん――」
バッと、何かが飛んだ音がした。
メイド服の一番上のリボンを、ちぎった音だった。ぼたんが飛び散ると、しなった部分が開き蔵馬の胸が露わになっていく。
袖を腕まで下ろし、飛影は蔵馬の胸を空気にさらすように、黒の服を腰まで下ろした。
「あっ…」


開かれた足。晒された胸に蔵馬が低く唸った。

教室の机と机の間に、そのリボンは飛んでいった。ピンクのリボンが、痛々しく落ちた。
冷たい風を感じた。飛影は、蔵馬の首筋を舐めていた。
「やっ、何して―」
「似合うじゃないか」
そう、似合うと思った。
こんな風に女みたいな格好をして笑顔を、知らない人間に振りまいて。
蔵馬が眩しかった。人間界に溶け込んで、そして丸い瞳を転がして笑っている蔵馬が。
舐めるような視線で蔵馬を見るあの男の指を見た瞬間、飛影は走っていた。触れるなと思った。
蔵馬のエプロンを、一気に引き剥がしていく。パサッと、埃の残る床にゆっくりと落ちていく。

ただの黒いワンピースが、…その胸の部分が開かれ、スカートが足に引っかかっていた。
ビクンと自分の身体を抱きしめている蔵馬を見た。本当に似合う。フン、と飛影はもう一度笑った。
何だか気に入らない。別に蔵馬を苛めたいわけじゃない。だけど、納得できない部分もある。
人間に溶け込むためにこんな格好までする蔵馬が、気に入らない。女の格好までする。…しかも、似合う。
あんな笑顔を向けて、ただの人間にあんな風に触られて。
「こんなの、やだよっ…」
「似合っている。綺麗じゃないか」
飛影は、クスクスと笑うしかなかった。嫌だはこっちの台詞だと、返しそうになった。
あんな奴らに、人間界の行事ごときのために触れさせやがって。誰のものだと思っている。
「あ!」
膝を割られて、蔵馬は高い声を出した。スカートの中を、飛影はまさぐっていた。いつもと違う、布で覆われた感覚。
何だか触れてはいけないものを摘み取っているような気さえする。それなのに、飛影の中から激しい衝動が湧く。
勢いは止められない。飛影の指が、蔵馬の足の中心までたどり着く。
教室の壁にもたれて、蔵馬はノドをヒクつかせた。
「やだ!」
「うるさい」
黙れと視線だけで言う。
そのまま、バッとスカートを全開にすると、それは蔵馬の膝に、たくなっていく。
こんな風に女の格好をしていても、蔵馬の身体は蔵馬だ。
「あ、んっ…」
股の中心を撫でると、甘い吐息が漏れた。
これが蔵馬だ、どくんと、飛影の胸が高鳴った。これが蔵馬だ。ちゅる、と言う音。飛影が指を舐めたのだ。
太ももを撫でて、そしてゆっくりと股の奥に指を滑らせていく。股の奥の、毛に触れると蔵馬はしなやかに揺れた。
「はっ……あ、やっ……」
嫌だ。何だか遊ばれているような試されているような、こんなところで。
一体何の意味があるのか分からないこんなやり方は。
耳を澄ましてみる、嫌な汗が額から滲む。廊下の声が小さく聞こえた。
誰かに気付かれそうで、怖い。ガラッと不意に開けられそうな…そんなことが起きない
ことを祈るしかない。

だけど、飛影の燃える瞳が蔵馬を真っ直ぐに見つめすぎていた。
「あ、ああ」
余りにも甘い感覚…中心の、直ぐ脇を通る飛影の人指し指が、やわやわと一点を突いてくるのだ、
ドクンドクンと言う鼓動を感じて、ジワジワと自分が流れていくのを、蔵馬は確かに感じた。


「えっ…あ!」
不意に、蔵馬の声が揺らいだ。目の前が暗くなったのだ。目が、前が分からない。
真っ暗な世界しかなくなっていた。
なに、これ。嫌だ!目隠し…!!
飛影の腕で、蔵馬の視界は閉ざされていた。
「飛影!」
「お前のせいだからな」
耳元で囁いて、そして飛影は蔵馬の膝を、一気に開いた。
「あ!」
膝に付け根が、痛い。股の端が痛い。スカートを開いて。

もし鏡があれば大きく、黒いワンピースの中に晒された秘部が見えただろう。チリチリと、何かが破けた音がした。
「うっ…」
ワンピースの上の部分だった。ワンピースの上の部分が、ちぎられていた。胸の突起が僅かに破れたところから見えていた。
冷たい風に、そこだけが浮かび上がる。
「!……」
ハッと、蔵馬は口を噛んだ。ザワザワと、遠くから人の声がしたのだ。冷や汗が熱い。
「何を気にしている。どこを見ている」
「見てなんか!」
言い返した蔵馬は、そのまま口を閉ざした。言った瞬間に膝が揺れた。飛影の舌が、股の端を舐めたのだ。
「あ、あっ…んう」
チロチロと、指とは違う艶めいた感触。細い何かが這っているような、何度も味わっているのに
意識を持って行かれる甘い興奮。
「熱い……ぞ」
お前の中が、と言っているのは飛影の声で十分だ、見えない。飛影が見えない。彷徨うのは、蔵馬の両手だった。
操られたように蔵馬は両手を宙にふらふらと揺らす。
「ひ、え……」
いないようで。
声だけで、実体がないような、空虚な興奮。寂しいのか悔しいのか分からなかった。
訳の分からない涙が、目隠しを濡らしていく。
そしてそれは、頬を伝っていく。教室の床に、涙が滴っていく。哀れを思いつつ、それでもどこかで
不思議なものが飛影を満たしていく。
こいつをこうやって泣かせる権利は、俺だけにあるのだと、確かめている。

「見えないよ…!」
やだやだと、首を横に振っていた。
「見えなくて良い」
見えるから、余計なものが聞こえるから飛影から壱岐市を逸らす。
「やめて…こんなの、いや…」

嫌と言う蔵馬の首筋を、涙が煌めいて伝っていた。
「やめてよ…」

なのに、下半身の中心は滾っていく。チュルチュル、飛影の舌がそれを包み、梳いていくのだ。
とろとろと、確かに蔵馬は哀液を漏らしていた。
ズッと飛影が思い切り下から、強く指で突き上げた。
「ん!!ん!!あ!」
嫌だ。確かに甘いのに心だけが悲しい。足りない。飛影が、その瞳が見えないなんて。
その間にも胸の奥から突き上げる甘い衝動に、蔵馬は腰を横へ揺らしていた。
今それしか出来なかった。ワンピースが大きな壁のようだった。二人を隔てている。
もどかしくて、むずむずする。
いつもなら飛影の身体が、胸がもう重なっているはずなのに。
触れているはずで、飛影の熱を感じているのに。
汗はワンピースを腰へ絡ませていく。張り付いたワンピースが、汗を吸っていく。

「欲しい…」
飛影の身体が、温もりが足りない。唾液を垂らしながら言う蔵馬に、飛影は噛みついた。
蔵馬の唇を、牙を立てる獣のような、強い力が、洗い力が襲った。逃げる隙を与えず飛影は舌を絡ませた。
そして、蔵馬の喉の奥まで舐め回していく。蔵馬を追い詰めたかった。愛想良く笑う蔵馬が、嫌だった。
遊び事にわざわざ付き合わなくても良いのに。


「ん!!」
激しい口づけ…舌を貪られて、蔵馬は応える余裕もなかった。
「なんでこんな…」
なんで。聞きたいけれど、それよりも混ざり合うのは、どこか冷たく感じる飛影の視線で。
「あ、ふっ!!」
胸の突起を飛影が突くと、甘いしびれに蔵馬はそれをツンと立たせていた。
立ち上がったそれが、物足りなさそうにフルフルと揺れた。飛影がそこに舌を当てるだけで、先端が艶めいた。

「ふ……」
うっとりとした声が、確かに飛影を求めていた。

「触れさせるな」
「なに……あ……んっ」
聞こえない。飛影が何か言っているのは分かったけれど、何も頭に入らない。
何より、飛影を見たくて、意味が分からないこの強引な行為がわからなくて。なのに飛影がやっぱり好きだ。
ただ溺れていく。
「こうするのは俺だけだ」
一気に、先端を擦っていく。
根元を吸い上げて、飛影は股の間から蔵馬を見たのだ。
その奥の炎に、蔵馬は気づけない。
「あ、!飛影!」
ジュルンと、何かが弾けた。下半身がビクンビクン震えたと思うと、蔵馬の膝が一気に力を抜いた。
へたり込むように蔵馬は膝を下ろした。
「あ、あ…」
目が、飛影を捉えられない。

どろっと、蔵馬は液体を吐き出していた。飛影の指に、とろとろとしたものが絡まっていく。
細く引き締まった指を、糸のように濡れる、粘つくそれを電灯の上に開いていく。
一気に吐き出したのに、飛影の指がその液体を受け止めているのを感じているのに。なのに飛影が見えない。分からない。
「どこにいても、お前は俺の……」
「はっ!!あ!」
大きな衝動に…裂かれるようなめり込んでくるズイという感触に、自然膝を立てた。
もう一度、ワンピースのまま膝を開いていく。今度は自分の意志で――飛影のものが、ズブズブと入り込んでいく。
割れるような感覚と、甘さと疼き。
「あ!!んん!」
少し浮いた腰を、僅かに愛しげに飛影は見た。そっと、目隠しを落とす。
「お前が…俺だって好きだ、ずっと」
だから、その笑顔を、安っぽく他人に向けさせたくない。
「あ、ひ――えい?」
夢の中に居るような、そんな声だった。けれど蔵馬は熱く飛影を見ていた。
「お前も、言えよ」
「なに…なにを…っ」
はあと、熱い、わざとらしいため息を、飛影が吐き出した。
「お前の、気持ち」
「きも、ち…?」
そんなの分かっているくせに。いつも与えてくれないくせに。ぐっと、蔵馬は唇を噛んだ。
なのに、嘘はつけない。
「優しく…して…あなたの腕が…好き…」
飛影を煽るには、充分だった。

「もっと、感じろ」
「あ、は!」
一際大きく、蔵馬の唾液が飛び散った。
飛影の身体が、深く埋まっていった。



そっと、飛影は蔵馬の髪を撫でた。
メイド服は今はボロボロの布きれだったけれど。
腕の中の蔵馬は、他人の教室で、ぐったりと眠っていた。深い眠りを貪り、蔵馬はもう暫く目覚めないだろう。
それでいい。どんな時でも、蔵馬は自分のものだ。
本当はこの人間界でもそうやって叫びたい。
けれど――。
「…かもな」
これも、弱みかもしれない。


息を呑み、飛影は結界を張った。

モクジ
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