甘い翻弄、口づけの炎


ざあっと、荒れ狂う波が二人の瞳に入った。
蔵馬の両手では包めない海の、固く、尖った岩にその波が激しく打ち付ける。
「お前なんか、吹っ飛びそうだな」
言って、隣の飛影が笑った。
「そう…かも」
蔵馬の黒髪がどこへ向かうか分からない勢いで靡いていた。
そっと、それを飛影が包んでいく。 ぎゅっと、蔵馬の黒髪を包み、
飛影は黒いゴムを取り出した。
「じっとしろ」
乱れる髪は、飛影は余り好きじゃない。
上に高く蔵馬の髪を結ぶと、何かをその肩に掛けた。
「ありが…と」
薄いグレーの空が二人の上に広がっていた。 潮の混ざった乾いた風。



魔界の海は、いつでも荒れている。
波が打ち付けるその岩は、何年もその波で削られたものだ。
至る所に、それがある。
少しでも油断すれば蔵馬など飲み込まれそうな、冷たく濁流のような
波を、 飛影は少しだけ見つめた。
「飛影…?」
「何でも無い」
果てなく広がる魔界の海を、飛影は一瞬だけ見て蔵馬の手を繋いだ。
熱い、飛影の手が、蔵馬の指に柔らかく触れた。



「今日はわざわざ、ありがとう」
小さく、蔵馬はソファで微笑んでいた。百足の飛影の部屋。
多分これは侵入だ。けれどそんなことを、蔵馬は意識していない
ように 笑っていた。
「また、来週来るよ」
カラカラと、蔵馬は小さなビンを転がしていた。
この海の水を採取したいと言い出したのは、今日の朝のことだった。
「この水をね…もっと良いものにしてまた来るよ」
うっとりと、水を見つめる蔵馬を、飛影は瞳を大きくして見つめた。
「そんな水が、役に立つのか」
「うん、これはね。結構大切なものなんだ」
この北の湖でないと採取できない水なんだと、蔵馬は言った。
「これを濾過して。そして花の蜜を入れるんだ」
あとは秘密、と言うと、ソファで蔵馬は僅かに瞳を細めた。
切なげに――。
「俺がそばにいなくても」
そこまで言って、閉ざされた口。
「いなくても、一人でちゃんと薬、塗れるように」

蔵馬がいなくても、飛影が自分で薬を塗れたら…そばにいなくても困らないだろう。

バカ――と、重なるように、声が聞こえた。
「いい加減、俺だって分かっている」
何が言いたいか、飛影には分かっている。


…魔界と離れて、蔵馬が存在意義をなくしかけて迷っていること。


飛影が傷を自分で治療できるようになったら…いつかこの手が離れてしまうのではないかと思っていること。



・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…

数週間前のことだった。
ゴウゴウと、その日も風が荒れ吹いていた。
違うのは――そこか魔界ではないこと。
窓を叩くような風の音に蔵馬は立ち上がった。

今夜はまさか来るとは、だから閉めておこう…
――その瞬間。

ガタンと、音がした。
蔵馬の部屋を揺さぶるような振動がして、何かが転がっていた。
ヌルヌルとした何かが、床濡らしていた。
「なにっ――」
ハッとしてそこを見つめた視界に入ったのは、その人だった。
「飛影!」
叫ぶような声が響いた。


くら、まと小さな声がした。

触れた飛影の身体がひどく熱かった。
飛影の瞳が蔵馬を映すことは、なかった。何度も蔵馬はその腕を拭いていた。


一体何枚のタオルを使っただろう。

「どうして…」
何故としか浮かばなかった。
小さな飛影の唇が、ただ蔵馬と呼び続けていた。
夜の空が。何度も二人を包んでいた。
「蔵馬……」
呟きの声がだけが、その部屋に響く声だった。
飛影の手を取り、何度が夜が過ぎた頃、蔵馬は小さく呟いたのだ。
「この、病気」
知っている。 知っている、これは疫病だ。
魔界では暫く見られなかった疫病。 細胞を殺し、身体を弱らせていく。
数ヶ月続くと思われるこの事態を、どうすればいい。


眠っていない頭で蔵馬は記憶を辿るしかなかった。
遠く、
遠く何度も賭けた魔界の地のことを辿っていく。
あれだけ何度も
見つめてきた世界のことだ。

どうにも出来ないはずがない。
必ず…何か方法があるはずだと、それだけが頭を駆け巡っていく。

ピチュ、と声がした。
「あっ…」
小さな、鳥だった。
窓を叩く小さな音。キラキラと光る小さな鳥…。
ピチュピチュと、鳥が囁いていた。
ガラッと窓を開けたその手に、鳥は頬を擦り付けていた。
「きみ、は」
知っている。蔵馬はこの鳥を知っている。
「いきて、いたんだ」
人間界に逃げ込む前につれていた、使い魔だった。はぐれたまま
消えたものだと 思っていた、鳥だった。
ピチュピチュと何度も鳥は蔵馬の手を撫でた。






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汗ばんだ蔵馬の手が、鳥に触れた。
「あ…」
抱きしめたい、そんな気持ちだった。
こんなに綺麗な、優しい羽の色。キラキラと光る緑の羽根。 抱きしめたかった。
この鳥が居れば…。
記憶の断片が、込み上げる。何度も共に崖を越えて何度も共に眠った鳥だった。


蔵馬は知っている。
この病を治すための赤い果実…。
魔界の奥にしか咲かない花の、小さな赤い果実。
もどかしさだけが蔵馬を支配していた今の、救いの手だった。
今の自分が魔界の奥まで果実を取りに行くことは出来ない、余りにも この身体は脆い。
青く光る鳥の目が、蔵馬を見た。
鳥がその窓を再び叩いたのは、数日後だった。
煌めく羽根の、その間から落ちた果実。
……これがあれば。
これがあれば。
それだけが、蔵馬の心を支配する言葉だった。
これが、救い。
ぎゅっと力を入れて、蔵馬は果実をすりつぶした。
それを湯に溶かし…魘される飛影を見つめた。

もどかしい。
こんな事態が起きてからしか、動けない自分が。こんな時に自分の手で
飛影を、自分の力だけで救えないことが。


無力さが蔵馬を襲い、そのまましゃがみ込んだ。
魔界は遠くてあの頃の姿に戻れてもいつまでもそれは保てない。
駆けて行くには遠い。こんな偶然に出会った使い魔に頼るしかない。

力なく、蔵馬は手のひらを見た。
この手のひらに持てるだけの薬草、薬でしか飛影を救えない。
いつまで…飛影の役に立てる?
飛影は強くなるけれど病魔には勝てない、そんなとき…。
遠くに居て、何が出来る。

「飛影!」
目を開けた飛影を見て、蔵馬は弾んだ声を出した。
そして、何度も飛影の身体に触れた。
「どこもなんとも…ないね」
大丈夫だと、飛影は応えた。……蔵馬の髪を撫でる手が、優しかった。


その時のことを言っているのだとさすがに飛影でも分かっている。
ソファにいる蔵馬は笑って居るけれど、本当の気持ちは草ではないはずで。
「そんな顔するな」
小突いた頭を、小さく撫でていくと蔵馬はくすぐったそうに身をよじった。
「だっ…て」
「俺だって、本当は」
そばに蔵馬を置きたいと思っている…。
「お前も、強くなれ」
心の、意味ではなくて。
「もっと、ここに忍び込めるように、強い力を持て」
うんと、頷く蔵馬の、シャツを飛影が下げていく。



・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥



「はっ……」
闇に溶けるような声が、飛影を駆り立てていく。
窓の外に見える細長い月。



「あっ……」
仰向けで見上げてくる蔵馬の瞳が綺麗だった。
潤んだ瞳の中に映る自分を、跨がりながら飛影は見た。
この奥に、燃えたぎる表情の、自分をもっと残したいと思う、それは 自然な衝動だ。
深い碧の瞳は、飛影を甘く見上げていた。
「はっん…」

胸の突起に唇を落とし、飛影は強く蔵馬を見た。びくびくとしなる
蔵馬の 腰が、飛影を強く求めて寝台の中で震えていた。
胸の突起を強く舐めあげ、そして荒い息をかけていく…その瞬間に 立ち上がるそれが、欲望を呼び覚ます。

「んっ…」
よだれを垂らしていやいやのように顔を横に振る蔵馬の、唇を取った。
「んんっ!」
絡まる舌が、熱く熱く奥まで忍んでいく…蹂躙するように。激しさに蔵馬の
喉がヒクついていた。
「あ、ふっ……」
半端に開いた口の奥から垂れる唾液が、シーツに落ちていた。

じっとりと染み込んだその色が、扇情だった。散らばる透明の液体。

あっと、大きく声がした。
蔵馬の足を開き、奥へ指をくわえ込ませたのだ。奥の毛をかき分け、
滑る指が 入り込んでいく…。
ヌルヌルと、侵しながら飛影の指がまさぐっていた。 「ん…ぁ」
吐息が、激しく甘い。
「う…」
突かれた一点に、蔵馬の身体が甘い熱情を訴えていく……トロトロと
しみ 出していく蜜。

ぐっと、蔵馬の足を限界まで開いていた。
「やっ…ぁ」
頬が、蔵馬の頬が赤く染まっていた。見られている。見つめる飛影の瞳を感じる。
「黙れ」
ちゅる、と言う音が、何度も部屋に響いた。ちゅるちゅる……と、
先端を舐める 舌は、早く激しかった。
根元から、飛影の熱い舌が舐め濡らしていく…。 「あ、ああっ!」
膨らんでいく蔵馬のそれが、どくんと脈打っていた。ブルブルと揺れるそれと、
涙を濡らす頬を桃色に染める蔵馬。
じゅくじゅくと染み出る液の出るそれを、 飛影の口が覆っていた。
「んっ…ひ、えい……あん!」
腰が浮き、蔵馬は下半身を激しく揺らしていた。
「欲しいのか」
言えよと、飛影は突き上げた。


「はっ……ぁあ!」
身体をせり割るような、全て飲み込む波に、蔵馬の声が甘さを増していた。
ああっと、蔵馬はただ顔を横に振った。目の前が、ぼやけていく……。
突き上げては引いていく飛影のそれが、燃えながら蔵馬に触れるようだ。
「ひ……えいっ……」
ぎゅっと、蔵馬は両腕を頭の上で組んだ。そうでもしないと、力の全てが 消えそうで。
ぐいと、飛影は腰を滑り込んだ。


そっと、蔵馬は隣の人を見た。
瞳を閉じて、今眠っているかのような、飛影。
起きているのか…それでもいい。
「初めて、だよ」
甘く、蔵馬は唇を重ねた。
「こんなに…翻弄される相手」


もっと、捕らえて欲しい。 そっと、蔵馬は隣の人を見た。
瞳を閉じて、今眠っているかのような、飛影。
起きているのか…それでもいい。
「初めて、だよ」

甘く、蔵馬は唇を重ねた。

「こんなに…翻弄される相手」

もっと、捕らえて欲しい。

どんなに多くの記憶を辿っても…。こんなに好きになった人は居ない。
「…あなたに何があっても俺が…」
きっと、治してみせる。
ぎゅっと、蔵馬は唇を噛んだ。
「あなたを誰にも渡さないよ」

飛影に、しがみついた。

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