吐息が小さく…それは安心と不安と、それぞれを同時に呼び覚ます。
知らなかった…こんな風に、誰かのせいで、自分の軸が歪む日が来ることを。
だから今、こうして、この人の胸の上に手を置いている。
幻かもしれない…飛影、と聞こえが気がして。
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蔵馬の瞳が静かに閉じられて行く瞬間、身体の全てが爆発したような
気がした。
蔵馬が目の前で消えていく、それを現実に知るとは思わなかった。
凍矢の攻撃の中が振っていく中を、よく知る白い肌が赤く染まっていく…。
蔵馬、と叫びたくて、飛び出したかった。
その感情をなんと呼べば良いのか。
「…あいつのためじゃない」
そう、言ったのは自分自身だった。
言った傍で、覆面がフッと笑って飛影を見た。
「命拾いしたな」
言った言葉は本気だったことを今更自覚する。
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眠る蔵馬の手を握って、息を殺して離した。
「俺は、強くなる」
今のこの子道の意味は分からないけれど。
誓う言葉はそれだけだ。
「何もできないままの俺では、いない」
蔵馬が命を張って立ち向かった理由を、知っている。
大会を攻めても相手を責めても仕方がない。
全て…自分のせいかもしれない。
それでも、強くなる。
こんな風に、なくしそうだと思うことがないように。
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「飛影…?」
そっと目を覚ましたのは、それから何時間も後のことだった。
青白い顔のまま、蔵馬が身体を起こす。
眠る部屋の中で漂う、小さく残る妖気はよく知っている物で、だから
蔵馬は小さく笑った。
胸に手を当てて。
「…ありが、と」
あの時怒っていたのは、分かっている。
もしかしたら怒りは自分に向けられたものだったのかもしれないけれど、
それでもいい。
「心配、してくれたんだよね」
ほんの僅か、胸の中に明かりが点ったようで。
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その時の気持ちを、何もできない今、もっと自覚する。
ああっ、と蔵馬の声がした。
鴉の攻撃に倒れる様を飛び出しそうになる衝動で飛影は見ていた。
幽助の声が聞こえたけれど、そんなものよりも、今自分が飛び出したい。
飛び出して、このまま知らない場所まで。
蔵馬をつれて二人で…。
何よりも今この闘いから逃れられればと、人間くさいことを思った。
人間くさいことを…、ふとそう思う。
「俺、は…」
いつからこんな風に思うようになったのか。
黒髪が舞う闘技場を見つめ、手を握りしめた。
今なら分かる、失いたくないものが、確かにある。
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「…飛影」
本当は、その決勝の前に、言いたいことがあった。
決勝の前の夜。
じっと、蔵馬は飛影を見つめてきた。
「…明日、生きていたら…」
なぜか震える瞳が揺れていた。
今それを思い出せば、何を言いたかったのか‥思えば思うほど苦しい。
あの時、決勝の前の夜。
飛影の手をぎゅっと握って、蔵馬は縋るように言った。
「生きていたら…」
続きを、飛影は言わせなかった。背を向けて、窓から飛び出した。
待って、とも飛影、とも蔵馬は言わず、追いかけてこなかった。
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「蔵馬!」
幽助の、一際大きな声がした。ハッと、前を向いた。
「…くら、ま!」
飛影が、風を起こしそうな叫びを吹かせた。
今なくしたらあの時の続きも…本当に伝えるべきだった言葉も…無になる。
後悔に似た渋い慟哭が身体をとりまく。
蔵馬の指先が、震えて、…飛影を見つめた。
こんな時に何故かふしぎなほどうつくしく…ぞっとするほど熱を帯びて、
蔵馬は飛影を見つめた。
「…蔵馬!」
手を伸ばし、飛影が身体を前のめりに飛び出しかける。
伸ばした手と、闘技場で伸ばされた蔵馬の指が、一瞬だけ、交差した。
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