Re: Longing 1

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お前はと、コエンマは言いかけた。
いや、知っていた、指名手配した頃から。
けれど目の前で、そこに立っているその人を見るまで、本当に
その人か…信じきれなかった。

「お久しぶりです」
裁判を前に、蔵馬は言った。少し、余裕のある微笑みで。
捕らえられたとは思えないほど、蔵馬は涼しげな顔をしていた。
「あなたに、捕まってしまいましたね」
霊界に、とは蔵馬は言わなかった。

「…暗黒鏡は、幽助が割った」
だからもう戻すことは出来ない。

「だが、お前には前科がある」
裁かないわけにはいかない。コエンマは感情の見えない瞳で言った。

魔界での盗賊時代、霊界から盗んだものもある。
「前科?…何か、そちらのリストに入るようなこと、しましたか」
それを聴いたコエンマの、頬に一気に熱が上がった。
何も知らない振りをする、蔵馬のこの綺麗な顔が、嘘を吐いていると告白している。
嘘だ。
前科が、あるはずだ、蔵馬だって知っているはずだ。

コエンマにとってだけの、蔵馬の前科。

「盗っていったものが、あるだろうがっ…」
殴りそうなほど、手を握りしめる。出来ないけど。
代わりにすっと手を伸ばす…白く細い首筋に、指先で触れる。罪人を追い込むときの
ように。冷たく、蔵馬はそれを見た。
「…もしかして…あったかもしれないですね」
ここは折れるべきだと思ったのか、何なのか、蔵馬は唇を噛んだ。

「どこに隠したか…忘れてしまいました」
くす、と蔵馬は笑った。
「忘れるはずはないだろう」
冷たく、コエンマは言った。魔界で盗んだものも、蔵馬はしっかり結界を張って
それを隠している。絶対にそうだ。だって蔵馬が盗んだ以外に考えられない。

「…ひとつ、聞きたい」
コエンマは、腕を組み直した。

「返してもらっていないものがある」
蔵馬が、ぴくんと耳が跳ねた。人間なのに、耳が一瞬揺れた。
「何のことですか。魔界で盗んだものの場所なんて、覚えてません」
怜悧な瞳で、蔵馬は言った。ピリ…と、蔵馬の指先が震えた。

「わしの、指輪を返してくれ」

「指輪?」
蔵馬の瞳は、大きく見開くと少女のようだった。吸い込まれそうな。
けれど流されてはいけない。相手は狐なのだ。
あの頃この狐の尻尾も指先も眼差しも…捉えどころのない全てが恋しかった。
会うたびに、胸が高鳴った。
「霊界のひとからそんなもの、盗んでませんよ」
確かにあなたとは会ったことがあるけれど。

「今回のことは、情状酌量もある。母親のためにしたことだ、
配慮もしている。それに…」
幽助のことも、助けてほしい。

コエンマはゆっくり付け足した。

「はい、…ありがとうございます」
淡々と、蔵馬は返した。

「話は、それですか」
蔵馬は、小さく頭を下げた。

ゆっくり背を向けると、蔵馬は歩きだした。
少しずつ小さくなる、細い背中…。

「判決は聴きました、了解しましたよ」
小さな…細いからだが遠ざかる…。

「蔵馬!」
ガタンと、音がした。びくんと、僅かに蔵馬の肩が震えた。

「待て!」
その肩を、コエンマは掴んだ。振り切るように、蔵馬は腕を上げ…かけた。
「…!」
蔵馬の声が、消えた。
コエンマは、蔵馬を抱いていた…抱きしめていた、後ろから。

「行くな!」
振り向いた蔵馬の丸く深い瞳が、コエンマと重なる。視線が絡んだ。
一瞬だけ…長いまつげを、蔵馬は伏せた。
「何するんですか…もう話は終わった…」
「返せ!」
あの指輪を。
返せ、と言わなければ、いけない。
そうしなければ。それを言わなければ…。

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その湖は、魔界の東にあった。

パシャ、と弾ける水の音がした。
広い湖の、済んだ青の水が、白い肌を濡らす。

衣を木にかけて、その人はゆっくり水に入った。小さなため息をついて…。
その人は、魔界で盗みを生業としていた。
多くの宝石を手にし、そしてそれを売り時には飾りにして楽しんだ。
銀の髪に、陽の光が当たり、幻想的なほど煌めいて湖に浮かび上がる。

今日の収穫は、なかった。
みどり色の宝石の噂は、ただの噂だったのか。
はあ、と、その人は水辺を見た。

この広い魔界で、この湖は、唯一、光を反射して誰にも
出会わない場所だ。
結界は張るが、誰の気配もない空間。

暖かい水…。
ゆっくり、その人は目を閉じた。

…瞬間。

「…?」
消えそうな、音がした。
ファサ…。
あ、と、その人は手を伸ばした。

どこからか飛んできた、薄い布…。木々が、ざわめいている。
湖を囲う木々の、一際せり出した枝に靡く布があった。

その人は…湖から身体を上げ、そっと手を伸ばす…。

「あっ!」
高い、声がした。
カサカサと、湖の周りの道を踏みしめる音がした。

「私の…」
伸ばした手を、突然現れた人は、引いた。

「その布!」
湖に身を乗り出して、現れた人は叫んだ。
「お前の…布か」
湖から、その人は言った。
「そうだ!」
羽織る布が、飛んだのを探しに…。
「…」
湖の中の人は、何も言わず、その人を見た。
「何故、ここに入れた」
小さく問うた。
「私は霊気で入れたのだ!早く…」
霊気?その言葉に、布を持った人は繰り返した。
「そうか…」
妖気のことは意識したがまさか霊気を持つ者が…多分、魔界の生き物の
生きる力…その霊気ではなく、魔界ではない場所の生き物の気。

「お前は、どこの者」
二人の視線が重なった。

「霊界の者だ!」
整った容姿のその人の声がした。

「俺は、蔵馬」
魔界の生き物。
蔵馬は、手を重ねた。銀の髪…。鋭い、取り込まれそうな瞳で。

「私は…コエンマ」
水音に、コエンマの声が消えた。

「コエンマ」
また、会えるか。
絵姿のような、その人は…蔵馬は、言った。

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二人は…魔界で何度か逢瀬を重ねた。

数カ月に一度…月の満ちた夜。

「蔵馬」
口づけを交わしながら、コエンマは言った。コエンマの唇は、魔界には存在しない、
全く違う世界の…柔らかなものだった。こんな蕩けるような口づけをするのは
コエンマだけだ。

魔界の東の洞窟内で、抱き合いながらコエンマは言った。

「もう、しばらく会えなくなるかも、しれない」
蔵馬の髪を撫でながら、コエンマは柔かな息を重ねた。

「それは…」
「王位を継ぐのは私しかいない。学ばなくてはならないこと、
身に着けなければならないことが、多くある」

「しばらくって…」

銀の髪を揺らして、蔵馬は身を起こした。
コエンマのからだから、僅かに離れた。

「蔵馬?」
「しばらく…ではないかもしれない」
そう、返したのは蔵馬のほうだった。コエンマはしばらくと言ったのけれど。
しばらくと、コエンマは言った。けれど、多分…。

「分かった…」
また、会える日がくるのを、待つ。一言、蔵馬はそう言った、




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「指輪、魔界に隠したのではないのか」


あの日…霊界に戻ったら…嵌めていた指輪がないことに気づいた。

「お前が知ってるのだろう」

キッと、蔵馬はコエンマを睨んだ。

「知りません、たしかにあの頃はあなたたとはそう言う仲でしたが」

人のせいにしないで下さい、と、早口で蔵馬は言った。
コエンマの腕を、蔵馬は強く振り解いた。

バタン、と扉が閉まった。

「蔵馬!」

扉の向こうから、声がした。
「幽助には協力します、それでいいでしょ」

くす、と笑った、蔵馬の声がした。

本当に欲しければ…自分で…消えそうな声が、聞こえた。


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